2018年7月6日金曜日

ジャズにも劣らぬ鉦の囃子

“古新聞”シリーズ1――。昭和4(1929)年8月16日付常磐毎日新聞のじゃんがら念仏踊りの記事がユニークだ=写真。見出しに「ジャズの曲想にも/劣らぬ鐘の囃し/(略)/揃へ(ひ)浴衣の足拍子」とある。(下の本文もそうだが、「祐天上人創設」がらみの部分は略した。引用の「ジャンガラ」「ヂャンガラ」はそのままにした)
 今は、青年会・保存会が月遅れ盆の8月13~15日に新盆家庭を巡ってじゃんがらを披露する。戦前は、これが旧暦で行われた。昭和4年は9月15~18日が旧盆の8月13~16日だった。その1カ月前の記事だ。
 
「盆が来た。若人が初秋の夜を踊り明かす盆がきたのだ。ゆるやかな太鼓の音が、闇を辷(すべ)ってきこゆる、磐城名物ジャンガラ念仏の練習太鼓だ」。じゃんがらの練習が始まったことを、記者は思い入れたっぷりに書き出す。続いてすぐ記事の核心に入る。

「特別な地方色を帯(び)た磐城ヂャンガラ念仏はあの変転極まりない太鼓の調子、ジャズの曲想にも劣らないあの鐘そして其の中に一抹のゆるやかさを漂はせる『ナンマイダー』の囃し、(中略)このヂャンガラは歴史的に見ても研究的価値がある」

 ジャズが日本へ入ってきたのはいつか。大正末期にはジャズブームがおきたと、ネットにはある。昭和4年10月、アメリカで株価が暴落し、世界恐慌が起こる。その直前、「昭和モダン」を象徴する舶来のジャズを引用して、じゃんがらを語る記者がいた。

 それから80年余りたった平成21(2009)年、いわきの有志が5つの青年会・保存会の「じゃんがら」を録音してCDを出した。ミュージシャンや研究者が「じゃんがら賛歌」の文章を寄せた。音楽好きの若者は「じゃんがら」にジャズやロックの親近性・親和性を感じ取った。

 そのとき、「じゃんがらはオフビート」だという話を聞いた。ジャズは2拍目と4拍目にアクセントがおかれる。つまり「弱・強・弱・中強」。これをオフビート(アフタービート)というのだそうだ。そういえば、CD化に先立つイベントとして、じゃんがらとジャズを融合させた「じゃんがらジャズフエスティバル」がいわき明星大を会場に開かれたっけ。
 
 昭和4年の記事は、じゃんがらとジャズとの近縁性・親和性に初めて言及した最初の文章だった、ということになるか。
 
 その同じ紙面に「ジャンガラの/稽古で喧嘩/太鼓の打(ち)方から」というべた記事も載っている。稽古を見ていた45歳男性が、太鼓の打ち方が間違っていると言ったところ、29歳男性が口惜(くや)しがって殴りつけて3週間のけがを負わせた。先輩(おそらく)といえども、言葉に愛情がなかったので、カチンときたのだろう。

 見る方も演じる方も興奮するのは、今も変わらない。今年(2018年)も月遅れ盆に披露されるじゃんがら念仏踊りの練習が始まり、鉦(かね)と太鼓の音が川向こうから聞こえてくる季節になった。

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