これとは別に、開館10周年を迎えたいわき芸術文化交流館「アリオス」では、東口ウォークギャラリーで公募展示企画「いわきニュー・シネマパラダイス」が開かれている=写真上。こちらは「いわきの映画館史」展だ。映画制作集団BUNZUが展示物を制作した。
去年(2017年)秋、いわきロケ映画祭実行委員会がイワキノスタルジックシアター第一弾として、いわきPITで吉野せい原作の映画「洟をたらした神」を上映した。そのとき知り合ったBUNZUの若い仲間から、「いわきの映画館で見た映画の思い出を」と声がかかった。昭和41(1966)年1月、東宝民劇で上映された加山雄三主演の映画「エレキの若大将」と、主題歌「君といつまでも」について書いた。
以下は昭和初期の映画と映画館にからむ“古新聞シリーズ”3――。吉野せいの短編「赭(あか)い畑」に、友人の女性教師が「子供を全部混沌(注・せいの夫)に押しつけて私を誘い、夜道を往復二里、町まで歩いて『西部戦線異状なし』を見て来た」というくだりがある。
「赭い畑」は「昭和十年秋」の出来事を描いている。同年(1935年)秋からアメリカで映画がつくられた1930年へと、戦前いわきで発行されていた地域紙・常磐毎日新聞をさかのぼって調べたら、同6(1931)年9月10日付で上映を告げる「平館」の広告に辿りついた。それで、せいが「西部戦線異状なし」を見た年月日が推測できた。
活字になったせいの日記に「梨花鎮魂」がある。次女梨花の死の1カ月後、昭和6年1月30日に書き起こされ、4月28日まで書き続けられた、せいの赤裸々な内面の記録だ。
3月10日の項に「渡辺さんへ顔出しして墓参に行って来た。梅の花真盛りであった。混沌ぶどう剪定。夕方から『アジアの嵐』を見に出平したが、見ないで帰って来た(略)」とある。日記だから「出平」したのはせいのことだ、とはどうもいえない。混沌のことでも主語抜きで書いていることがある。
せいは前々日、義兄方の祝儀で小名浜へ泊まり込みで出かけた。家を留守にしたばかりでまた夕方、映画を見に出かけるなんてことが、幼い子を抱えた母親にできただろうか。混沌が出かけたのか、せいが出かけたのか。混沌だったのではないか。
この2カ月以上、昭和初期の平の映画館の新聞広告と記事をつぶさにチェックしていたために、頭が映画でいっぱいになっている。
合間の6月10日には、いわき市立美術館で「追悼特別展 高倉健」を見た(7月16日まで)。同15日には、小名浜に大型商業施設「イオンモールいわき小名浜店」がオープンした。4階に最新鋭機器を備えた「ポレポレシネマズいわき小名浜」が入った。
平の映画館の始まりを旅していた人間には、映画を見る場所が小名浜・主、平・従に替わったというだけで“大事件”のように思われる。
さて、イワキノスタルジックシアターは今年、第二弾として8月5日、同じPITで本木雅弘主演の「遊びの時間は終わらない」を上映する。先日、その主催仲間たちと飲んだ。チケットを1枚買った。あとで上映曜日と時間を見たら、日曜日の午後1時半からだ。1人で見に行くわけにはいかない。茶の間でブーイングがおきる。主催者に連絡して、もう1枚買うことにした。
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