2008年3月20日木曜日

ある本の間違い


著名なドイツ文学者のI・O氏は、自然に関するエッセーもよく書く。手元に森の生物を扱った『森の紳士録――ぼくの出会った生き物たち』(岩波新書)と、日本の川を巡った『川を旅する』(ちくまプリマー新書)がある。

『川を旅する』には、いわき市を流れる夏井川が出てくる。「小川郷近辺」というタイトルで、夏井川と詩人の草野心平が紹介されている。

読み始めてすぐ、違和感に襲われた。
①心平が育った「上小川辺りは夏井川の支流にあたる」。えっ、本流そのものでしょ。
②「小川のほとりの小天地は、広大な磐城平(いわきだいら)の大空にひらいている」。「いわきだいら」ではなく「いわきたいら」ですよ。小川の隣、旧平市のことで、藩政時代には磐城平(いわきたいら)藩がおかれていた。
③心平に名誉村民の称号を与えたいわき市の隣村は川内(かわうち)村で、「川内(せんだい)村」ではない。なんで「せんだい」なの?
④「草野心平が逝(い)ったのち、寺の和尚(おしょう)さんが詩人の蔵書をゆずり受け、天山文庫をつくった」。ついに、ここであ然ぼう然となった。

『川内村史』(第1巻通史篇=写真はその口絵で、右上が天山文庫、右下がそこでくつろぐ草野心平)によると、天山文庫は昭和41年7月、1階211平方メートル、2階29平方メートルの茅葺(かやぶ)き真壁造りの正方形の建物として完成した。心平がピンピンしていたときのことだ。そもそも「天山文庫」は、村が用意した心平の夏の別荘のようなものである。
 
心平と川内村を結びつけたのは、一つにはモリアオガエル、二つにはモリアオガエルのことを昭和24年2月1日付の読売新聞福島県版に書いた心平のエッセーに反応して、村の禅寺の坊さんが心平に誘いの手紙を書いたからだ。
昭和28年、心平は初めて川内村を訪れる。以来、川内詣でを繰り返し、モリアオガエルの繁殖地「平伏沼(へぶすぬま)」で歌を詠んだり、村内の小学校の校歌をつくったりする。で、村議会は心平を名誉村民に推戴することを決めた。褒章は年100俵の木炭。心平は木炭(2年目からは辞退する)のお返しに蔵書3000冊の寄贈を決め、うち2000冊を、木炭を運搬して来たトラックに載せて村へ届けた。
 困ったのは坊さんだ。一時、寄贈本を寺で預かっていたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。村役場にかけあった結果、仮称「心平文庫」の設立が議会で決まった。今の「天山文庫」はそうしてできたのである。

なぜこんなにミスの連鎖が起きたのだろう。編集者がぼんやりしていた、としか思えない。当然、苦情は入っているだろうから、改版時には加除訂正がなされた本を見てすっきりしたいものだ。

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