2008年3月3日月曜日

背戸峨廊のこと



エッセイストの辰濃和男さん(元朝日「天声人語」筆者)は自然への愛情、造詣が深い。その文章から、人間はいかに自然に生かされているか、自然の恩恵を受けているか、といったことを深く考えさせられる。

辰濃さんが描く自然は、観光客が「ああ、きれいだね」と眺めて過ぎ去る絵はがきのような自然ではない。そこへ分け入り、体感し、考えたことを、温かく気品のある言葉でつづる。だから、雑誌などで名前を目にすると必ず文章を読む。単行本も買う。

『歩けば、風の色――風と遊び風に学ぶ2』は愛読書の一つだ。中に「背戸峨廊を歩く――草野心平の『水の道』」が収められている。「背戸峨廊」は夏井川の支流・江田川(えだがわ=いわき市小川町上小川)の愛称だ。夏井川渓谷の近くにある。

「背戸峨廊」の文章を読みたくて『歩けば、風の色』を買った、と言ってもよい。
いかにも「背戸峨廊」の厳しさが出ている。が、一つ気になったのが「背戸峨廊」のルビだ。「せどがろう」ではなく「せとがろう」になっている。入手した資料が「せとがろう」となっていたのだろう。

「背戸峨廊」の4文字を分解すると――。
まず、「背戸」。どんな辞書でも「背戸」は「せど」である。「家の裏手の川」をさして「背戸の川」という。その背戸である。方言でもなんでもない。れっきとした共通語だ。次に「峨廊」。文字通り「峨峨たる回廊」である峡谷を表現している。

「背戸峨廊」はいわき市小川町出身の詩人草野心平が名づけたと言われているが、地元の受け止め方は少し違う。「せどがろう」に心平が字を当てた、というのが当たっている。それにはこんな背景がある。

江田川と山をはさんで夏井川に注ぐ川がある。加路(かろ)川という。江田川は猟師かイワナ釣り師しか入り込まないような峡谷。それよりは開けた加路川流域には、小集落が点在する。加路川を視野に入れて暮らす人々からすれば、江田川は「かろ」がなまって「せどのがろ」、つまり「山の裏手の加路川」ということになる。
その人たちが呼び習わしていた「せどのがろ」(「せどがろ」)に心平が「峨峨たる回廊」のイメージを重ね合わせた、と言えばより事実に近いか。

一人歩きを始めた「せとがろう」は道路の案内標識にも及んでいる。同じ小川町の下小川に設置された標識は「背戸峨廊」の下の英語表記が「Setogaro Gorge」=写真上=だ。早い機会に訂正してほしい。ついでながら、辰濃ファンとしても『歩けば、風の色』が次に改版されるときには、「せどがろう」とルビが直るのを願っている。

いわき市立草野心平記念文学館ができてからは、学芸員が「『せどがろう』ですよ」と念を押すせいか、さすがに「せとがろう」と間違ってルビが振られた記事は少なくなった。

さて過日(2月20日)、「背戸峨廊」のコース最奥部「三連(みれん)の滝」の氷結写真が新聞に載っていたのに刺激されて、一番手前の「トッカケの滝」をのぞいてきた。「三連の滝」よりはかなり下流のためか、滝の氷はほとんど解けてなくなっていた=写真下。

峡谷にも春の光が躍り始めたようである。

0 件のコメント: