2008年3月13日木曜日
専称寺の梅
昨日(3月12日)、いわき市平の専称寺へ梅の花を見に行った。山号の「梅福山」にちなんだものか、全山梅の木だらけである。市観光物産協会のHPで確かめたら約500本はある。
かつて東北各地からお坊さんの卵(学生)が集った浄土宗の「名越(なごえ)壇林」(今で言う大学)は、いつからか「梅の名所」に代わった。旧平市時代、市の観光課長だか誰だかが音頭を取って苗木を植えたのがそもそもの始まり、と聞いた記憶がある。
ふもとの畑にある梅の木や、午後も日の当たる斜面の上部の梅の木は、ほぼ満開だった。石段を上り始めると梅の香りに包まれた。土曜日(8日)に来たときよりも、いちだんと香りが強い。
中腹の寮舎(学生が寝泊まりして学んだところ)跡の梅の木は、午後には日陰になる。それで、8日にはまだつぼみが硬かったのが、12日にはそれぞれ数輪、花をつけていた。11日の暖気で早く目覚めたものもあった、というわけだ。
午後5時過ぎ。中腹の梅林にたどり着くと、1台の車が上の本堂の方からやって来て止まった。若いお坊さんが車の窓を開けた。
「梅の花を見に来られたんですか」
「ええ」
「花はまだですね。彼岸のころが見ごろでしょう。どちらからいらっしゃったんですか」
「川(夏井川)の向こうから。毎朝寺を見ながら散歩してるものですから、どんなんかなぁと思って」
「そうですか。今日は早く閉めましたけど、ゆっくりご覧になっていってください」
「ありがとうございます」
<そうか、昼間はこの若い人が寺にいて、夕方になると戸締まりをして帰るのか>
平の市街地にある九品寺の住職が専称寺の住職を兼務しているから、九品寺の関係者なのだろう。専称寺はかつて浄土宗の旧名越派本山として君臨した。九品寺はその末寺である。
そういえば、専称寺は春と秋の彼岸の中日、裏山に沈む夕日が本尊の後光となるように設計されたのではないか、という話を聞いたことがある。阿弥陀が山あいからニュッと顔を出す、いわゆる「山越え阿弥陀」と同じ思想だ。
実際、裏山は尾根が鞍部になっていて、彼岸の中日には夕日が鞍部の中央に沈む。本堂の板壁をはずしたら、ちょうど阿弥陀如来の後光になって人間を西方浄土に誘うことだろう。
<彼岸の中日には、満開の梅と夕日を見に来るか>
振り向けば、近くの夏井川でコハクチョウたちが盛んに鳴き交わし、飛び交っていた。
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