家の向かいに未舗装の駐車場がある。手前は月ぎめ、奥は幼稚園のもので、ふだんは空き地になっている(どちらも田んぼを埋め立てた)。奥の空き地には車の侵入を防ぐため、20センチほどの高さで二重にロープが張られている=写真。その先にある義伯父の家へは、ロープをまたいで行く。
ゴールデンウイークのある日、義伯父の家にいわき地域学會の仲間が集まって資料作成・印刷・封入作業をした。近所のコンビニへ飲み物を買いに行った帰り、いつもよりせかせか歩きながらロープをまたごうとしたら……。左足がロープにからまって体が宙に浮いた。
ドデッと倒れたのを見て、近くのおじいさんが「大丈夫げ? 私も引っかかって転んだことがあんだ」。同情され、慰められて、「大丈夫です」――レジ袋からはみ出した飲み物をしまいながら、てのひらの痛みを我慢してニッコリしてみせた。
わずか20センチのハードルだが、あなどれない。孫が年長組のころ、かけっこをしていてロープに足を引っかけ、宙を飛んだ。東京から震災後、生活支援に入ったNGOのスタッフも「ロープに気をつけて」と言った瞬間、足を引っかけて転んだ。
テレビの情報番組で知ったが、年配者の足が上がらなくなるのは大腿筋が衰えたかららしい。頭のなかでは足が上がっているつもりでも、実際にはそこまで上がっていない。ちょっとした段差につまずく。階段に足のつま先をぶつける。そんなことが増えた。(若いとき、陸上競技をしていた“自負”が邪魔をして現実を直視できない?)
フェイスブック経由で知人のブログを読んだ。岩塩低温サウナで60代後半らしい男性2人が会話をしている――。「歳とってくっと、ハゲるか、白髪になるかだね」「んだねー。最近、この腰の辺りから腿にかけてつんだよね」「筋肉、そげてんだっぺ(以下略)」
草野心平の詩「秋の夜の会話」が思い浮かぶような、人生の日暮れの切ないやりとり。どこかにあきらめをにじませながらも、筋肉がつったらつったで生きていくしない、という開き直りが感じられて、「オレも同じ」と声をかけたくなる。こういうときにいつも思い出すのは俳人横井也有(1702~83年)の狂歌――。
皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる
手は震ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとくなる
耳と目はずいぶん前から、足は1年前から……。東日本大震災(きょうは月命日)を生き残った身だ。老いを自覚しながらも、できるだけつつがなく暮らすために、座布団のへりを踏まない・濡れた風呂場の簀(す)のこには注意する(ズルッといって転ばないために)といったことを心掛けよう。近所をぐるっと回るくらいの散歩も再開するか。
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