日曜日(5月15日)、夏井川渓谷の小集落・牛小川へ行くと、Sさんが耕運機で代かきをしていた=写真。近くの畑ではKさん夫妻がナス苗を植える準備に忙しい。Sさんの母親がそばの草地に座ってみんなの様子を見ていた。
集落には8世帯が住む。週末だけ現れる半住民の私と、市街に新しい家のある元住民のYさんを加えると10世帯だ。
田んぼは確か大小11枚。平地が少ないから、斜面を利用した棚田になっている。スペースも小さかったり三角だったりするので、代かきには小回りの利く耕運機が適している。
Sさんは1枚が終わると、いったん耕運機をあぜに上げて次の田んぼに移動する。田んぼのわきには素掘りの水路がある。夏井川の支流・中川の取水堰から水を引いている。堰の改修が終わったばかりで、「水がいっぱい流れるようになった」と、あとから軽トラでやって来た区長さん。
快晴の野良で立ち話をするのは久しぶりだ。田んぼに水が張られる。周りの草が刈られる。ウグイスがさえずる。「古き良き時代のムラの風景そのものだね」。Kさんのことばにうなずく。
農村であれ山村であれ、景観が美しく保たれているのは、住民が家の周りやあぜの草を刈ったり、道路や用水路を補修したりしているからだ。草を刈る場所は暗黙のうちに決まっている。田んぼの上の広い斜面は「(別の)Kさんがやる」と、Kさんが隣家の住人の名をあげた。稲作をやめたら「ここも竹が生えっぺなぁ」。Sさんの母親が田んぼを見やりながら言った。
休耕すると田んぼは急速に原野化する。牛小川ではまだ休耕田はない。Sさんの家では、この週末、田植えをする。「ひとりでやるんだって」。母親は物寂しそうに語る。田植えは一家総出、いや親戚も動員してやったものだ。そんな昔の情景が記憶に残っている。
同じ渓谷の別の集落では、青田の中に休耕田が見られるようになった。自然に帰るというのは、言い換えれば風景が荒れて寂しくなることだ。人間と自然の交流がなくなることだ。
その晩、Kさんの屋敷の一角にある“交流サロン”で取水堰の改修祝賀会が開かれた。前々日、連絡がきたが、別の用事があるので参加を見送った。お祝いに焼酎(田苑)を持っていったら、Sさんらが野良に出て仕事をしていたのだった。
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