2019年11月27日水曜日

「三春荒町平田家」のルーツ(上)

 東日本大震災が起きる前、ウマの合った同業他社の記者が2人いる。朝日と毎日のいわき支局長で、共通項は同世代、本業を離れると自然を相手に過ごすことだった。私はキノコ、朝日のMさん(2017年に死去)は冬虫夏草を研究し、毎日のTさんは釣りを楽しんだ。私が会社を辞めるのと前後して2人も定年退職をし、そのままいわきの山里(遠野町)に定住した。
 先日、Tさんから電話がかかってきて、これから行くという。ほどなく湯本から常磐道に乗り、四倉から南下するかたちで、米と甘柿=写真上=を持って来た。高速を使ったのは市街を通ると時間がかかるから、ということだった。米は、Tさんら「おこめつくり隊」が「おふとん農法」(無農薬水稲直播有機栽培)でつくった米だ。Mさんも当初からおふとん農法にかかわっていた。

 今はこの「おこめつくり隊」に後輩の記者も、市役所広報のOB氏も加わっている。2人のフェイスブックから、毎年の米作りの様子がわかる。今年(2019年)は5月19日に田植えが行われ、9月下旬から10月10日にかけて稲刈りが行われた。田植えも稲刈りもだいぶ天気の影響を受けたようだ。

 Tさんが来訪したのは、しかし、米と甘柿のためではなかった。Tさんは田村郡三春町に先祖のルーツがある。私は阿武隈高地の同郡常葉町(現田村市常葉町)出身。「キノコは、マツタケよりイノハナ(コウタケ)。“いのはなご飯”は最高」などと、ルーツが同じだけに話が合う。

以前、総合図書館でバッタリ会ったことがある。三春の先祖の家系を調べているという話だった。何年にも及ぶ調査が終わり、『奥州田村郡三春荒町平田家』という冊子にまとめた。その贈呈が来訪の目的だった。

 さっそく手に取ってパラパラやったら、口絵のカラー肖像画=写真下=が目に留まった。「四代目栄助俳名掬明」とあった。「きくめい」の上に「ひらた」を付ける。ひらたきくめい。平田掬明とくれば、江戸時代の俳人だ。前に常葉の同時代の俳人を調べているなかで、『三春町史』にあたって確かめたことがある。Tさんの先祖だったのか!
 さらに、もうひとつ。平田家の菩提寺は浄土宗の紫雲寺とある。これにもなんとなく記憶があった。

平成7(1995)年に故佐藤孝徳さんが『浄土宗名越派檀林専称寺史』を出したとき、頼まれて校正を担当した。平山崎にある同寺は江戸時代、東北地方を中心に末寺が200を越える大寺院だった。同時に、主に東北地方からやって来た若者が修学に励む“大学”(名越派檀林)でもあった。

栃木県の円通寺も名越派の檀林である。Tさんは「紫雲寺は三春町大町にある『浄土宗名越派』寺院、本山は栃木県芳賀郡益子町大沢の円通寺」と書く。『専称寺史』にも円通寺末とある。

同時に、佐藤さんはこう書き残した。ある時期、専称寺の住職をめぐる争いがおきた。その結果、争った当の2人が敬遠して自分が開山した寺院を専称寺の末寺にしなかった。

その一人、小野町の専光寺を開山した良補上人は「専光寺も、門弟善立上人が創建した三春の紫雲寺も、郡山善導寺も、高岸寺も共に専称寺ではなかったが、善立上人の門弟良善上人が専称寺の学頭になったので、同寺の末寺になったという」。紫雲寺は専称寺ともつながっていた。

 三春の平田家のルーツをたどった冊子なのに、寄り道ばかりしてなかなか前に進まない。あしたは、俳人平田掬明と、同時代の常葉出身の俳人今泉恒丸について書いてみようと思う。社会部出身らしいTさんの調査で「俳人平田掬明」像が立ちあがってきたので。

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