彼女は8年前、早稲田の大学院生だった。震災の翌年9月からはいわき明星大(現医療創生大)の客員研究員、今は東洋大社会学科の助教を務める。いわき明星大では震災アーカイブ室に籍を置いていた。専攻は「災害社会学」と聞いた覚えがある。
3・11後、シャプラニール=市民による海外協力の会がいわきへ支援に入り、交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。シャプラとは創立時から関係しているので、いわきの受け入れ側の一人として伴走した。震災の年の暮れ、都内でシャプラニールのイベントが開かれ、招かれて少し話をした。そこに彼女がいた。
2014年11月、彼女の所属する関東都市学会の秋季大会がいわき市を中心に開かれた。「いわきの震災復興と<都市>形成――地域開発の歴史を踏まえて」をテーマにしたシンポジウムも開かれた。指導教授とともに彼女が企画・準備をした。地元勢としていわき地域学會も後援した。
今は年賀状をやりとりするだけだが、会えば親戚のような気持ちになる。結婚して子供が生まれた。その子は2歳になる。「もうそこまできたか」
拙ブログを読んでいるので、今度の台風19号の様子は頭に入っているようだった。「断水生活で疲れているから」と、甘いもの(羊かん)を差し入れてくれた。お返しは、孫が使っていたおもちゃ。これを袋に一つ持って行ってもらった。
台風19号は自然災害、地震・津波もそうだが、原発事故は人災だ。自然災害は悲痛と再建への希望が地続き、しかし原発事故では希望ではなく不安がのしかかってはがれない。8年半前の経験が教訓になって、市民や企業の支援の動きが早かった――そんな意味のことを話した。
彼女は博士論文を仕上げる段階に入った。早稲田大を会場に続けているシンポジウムも来年(2020年)1月で6回目を迎える。開催を告げるチラシにこうあった。
「震災から9年近くが経過し、住民はさまざまな地域で生活再建を進めています。ふるさとは、帰還した人や帰還しようとしている人にとって重要なだけでなく、帰還できない人や帰還しないと決断した人にとっても同じように大切な場所です」。いわきを新しいふるさとと定め、家を新築した原発避難者のなかにも浸水被害が出た。
「必ずしも帰還することだけが復興ではなく、復興の過程には多様な選択があり、多様なふるさととの関わり方があり得ます。今回のシンポジウムでは、今一度ふるさととは何かを問うことから、福島の今とこれからを考えます」
今回の来市は、シンポジウムに出ることが決まっている双葉町からの避難者(いわきまごころ双葉会事務局長)に会うのが目的だった。「これから事務局長に会って、夕方の特急で帰る」。珍妙な「わ」ナンバーのレンタカーの前で記念写真を撮り、見送った=写真。
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