2019年11月5日火曜日

台風19号㉔ボランティアツアー

3連休まんなかのおととい、日曜日(11月3日=文化の日)は、日中、地元の神谷市民歩こう会に主催者の1人として参加した。夜は常磐湯本町の温泉旅館・古滝屋へ出かけ、シャプラニール=市民による海外協力の会が主催する「みんなでいわき ボランティアツアー」の夕食兼報告共有会に加わった=写真下。
シャプラは東日本大震災直後から5年間、いわきで支援活動を展開した。今度の台風19号では、東日本を中心に各地で大きな被害が出た。そのなかで、やはりボランティア不足がいわれているいわき市を活動地に、災害復旧ボランティアを募った。報告共有会にはボランティア、シャプラスタッフのほか、私ら夫婦などいわき勢も含めて17人が参加した。

遠くは静岡県から、職業も小学校教師、弁護士などさまざまな人たちが、平・平窪で汗を流した。ほとんどの人が初対面だった。なかに1人、シャプラが過去に企画したいわきツアーの常連Nさんがいた。ツアーで何度か訪れた農家のKさんのオリーブ農園と自宅の片付けを手伝ったという。

Kさんの家は下平窪にある。平窪の農家は、私の知っている限りどこも屋敷が広い。私ら夫婦は結婚して5年間、下平窪の戸建ての市営住宅に住んでいた。ここで2人の子どもが生まれた。Kさんの家は、当時は全く知らなかったが、私らが住んでいたところからハス池と農家をはさんだ奥にあった。

台風19号がいわきを襲い、夏井川がはんらん・決壊したときには、Kさんの家から山側(平浄水場のある方)の田んぼが濁流と化した。そのとき、Kさんの家を含む一帯が床上浸水の被害に遭った。

私らが住んでいた40年ほど前、近くの4階建ての教員住宅から平市街方面は一面の水田だった。それが、小川江筋(農業用水路)の通る山側の水田を除いて宅地化され、いわきの中心市街地から途切れなく続くベッドタウンになった。

Kさんは仲間と2009年に「いわきオリーブプロジェクト」を始めた。いわきは耕作放棄地が多い。その休耕地を借りてオリーブ栽培を続けている。シャプラは震災被災地訪問ツアーのなかでKさんのオリーブ農園で草むしりなどの手伝いをしてきた。そのつながりのなかで水害の復旧支援をした。

ボランティアツアーもこれまでの「みんなでいわきツアー」同様、いわき駅集合・解散で行われた。初日(11月2日)午後に続いて、2日目は朝から片付け作業に加わり、夕食時にその日の振り返りをして情報を共有した。3日目はいわきの沿岸部その他、震災の復興状況を見て回った。1泊2日プランと2泊3日プランを組み合わせたため、1日しか参加できないという人も手を挙げることができた。

いわき支援への、せめてものお礼にと、カミサンがいわき昔野菜の小豆「むすめきたか」を使った水羊羹(ようかん)の小瓶をボランティアに配った。「むすめきたか」は小粒で早く煮える。嫁に行った娘が里帰りしたとき、すぐに煮て食べさせることができるので、いつかそう呼ばれるようになった。いわき遠野らぱん(遠野町)が製造し、マルト草野店などで販売している。

さて、これはNさんから聞いたエピソードだ。Kさんの家から出た災害ごみは小川町にある市民運動場へ運んだ。その前に、Kさんの家から近い“仮置場”に持ち込んだが、警備員に搬入を止められたという。

団地用に開発された広いスペースのため、だれかが持ち込んだのがきっかけでたちまち近隣地区の仮置場になってしまったか(フェイスブックで知ったが、開発業者が置場として提供した。しかし、業者らしい者が捨てる、災害ごみ以外のごみを捨てる――とかで、市に監視カメラを付けてもらったそうだ)。便乗組が現れるほど水害ごみが大量に発生し、今も出ている、ということなのだろう。
いわき市は11月2~4日の3連休を「水害ごみ撤去強化期間」にして、自衛隊や消防団、建設業者、ボランティアなどが総ぐるみで被災地からの水害ごみ撤去に奮闘した。きのう早朝、Nさんが目撃した仮置場の前を通ったら、柵が設けられ、札が張られていた=写真上。「ごみの大量堆積は危険です!」「『水害ごみ』は小川市民運動場へ!」。ここのごみの山はどうなったか、あとで街へ行くついでに確かめてみよう。

0 件のコメント: