去年(2022年)の暮れに実家の義姉が亡くなった。阿武隈高地の一筋町で、兄と一緒に家業の床屋を営んでいた。
今年は新盆なので、月遅れ盆の入りの8月13日(日曜日)、夫婦で出かけた。昼前には実家に着いたのだが……。どうも人の気配がない。
店のドアに、8月13~15日は地元の葬祭場で新盆を営む、という葬祭場の「知らせ」が張り出してあった。
それを見て、山里にも時代の流れが及んでいることを痛感した。核家族化と少子・高齢化が、不変と思われていた慣習にも変化をもたらしたのだ。
新盆は自宅で――というのが一般的だが、実家の兄には同居する家族がいない。娘3人はいずれも近隣のマチで一家を構えている。その子どもたちも大きくなった。
独りで店の仕事をし、独りで家事をこなさなければならない兄には、新盆の準備をする時間も、余裕もなかったのだろう。
父や母の新盆は自宅で行った。自宅での新盆は同居する家族がいてこそできたのだと、今さらながら思った。
町のはずれに葬祭場がある。いつ開館したのか、盆の帰省を控えるようになった人間にはわからない。義姉の葬儀はそこで執り行われた。新盆の会場もそこだった。
実家からUターンして葬祭場に着くと、足が止まった。よその家(2軒)の新盆会場になっている。スタッフに尋ねると「こちらです」。駐車場をはさんだ別の建物に案内された。
ホールの規模からいえば、2軒の新盆が行われている方はメイン、わが実家の方はサブ、といった感じだろうか。
葬祭場が新盆会場になると、お盆の間は葬儀ができない。逆にいうと、お盆中は葬祭場が空いているからこそ、新盆会場として利用できるようになったのではないか。それを裏付けるように、お盆中に葬儀をするという話は聞いたことがない。
その理由は、どうやらお坊さんが新盆供養で忙しくなるためらしい。日本の葬式はほとんどが仏式だから、お坊さんがいないと始まらない。坊さんが多忙なお盆は、それで葬式を避ける、という流れができた――そんなことがネットに書いてあった。
実家の新盆は11時半にお坊さんがやって来て読経し、終わって会食という段取りになっていた。私たちも臨席し、昼食をよばれることにした。
そのお坊さんが予定の時間になっても現れない。娘の一人が心配して父親に尋ねる。「お坊さんに連絡したのは葬祭場?」「もしかしたら今日ではなくて、あした来るのかも」
「では昼食にするか」となって、仕出し弁当を食べ終わるころ、お坊さんが現れた=写真。お坊さんにとっては、やはりお盆は師走以上に忙しいようだ。
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