2023年8月26日土曜日

老いの独り暮らし

                      
 月遅れ盆に田村市常葉町の実家へ出かけた。義姉(兄の妻)が去年(2022年)の暮れに亡くなった。実家に直行すると誰もいない。町のはずれの葬祭場が新盆会場だった。そのことに半ば戸惑ったことを前に書いた。

 葬祭場は国道288号沿いにある。道路向かいには「英霊合祀碑」などの石碑が立っていた=写真。隣接して元町長らしい人物の銅像もあった。

 もっと西の方、同じ国道288号沿いに江戸時代の餓死者を弔った「三界萬霊等(塔)」がある。

それについては小学校のときに授業で学び、実際に見に行った。石碑の大きさに驚いた。が、町はずれに「英霊合祀碑」などがまとまってあることは知らなかった。

同じ町内でも初めての場所にいるような感覚に襲われた。兄も家にいるときとは違って、こまごまとしたことを娘たちがやってくれるせいか、じっくり私らと向き合って、問わず語りにこの半年余を振り返った。

「ご飯を炊いて、味噌汁はつくる。しかし、おかずはなぁ」。近くの店か、隣町のスーパーから買って来るのだという。

義姉は料理が上手だった。2010年7月26日付のブログ「マメダンゴご飯」を要約・再掲する。

――阿武隈高地の実家に帰って、義姉の料理に舌鼓を打った。キノコ料理が出た。私がキノコ好きだと知ってのことだ。

一泊二日の初日。晩ごはんにチチタケのけんちん汁が出た。「チチタケがもう採れたの?」と私。床屋をやっている兄夫婦のところへは、知り合いからいろんなものが届く。チチタケは夏キノコ。採れて不思議ではない。それをもらったのだという。

イノハナ(コウタケないしシシタケ)も近所の店で売っていた、という。これには義姉もびっくりした。聞けば、地元の常葉産。梅雨が明けたばかりでイノハナとは。

本来なら、10月下旬に発生する「高級菌」だ。実家に帰ると、こうしていつも、思いもかけなかったキノコの情報に接する。

チチタケは料理が難しい。一度、油で炒めないことにはチチタケのうまみを引き出せない。義姉は、そんなことは先刻承知で、いったん油でいためてから、けんちん汁をつくる。そうすると、チチタケからうまみ成分がしみ出る。

翌朝は「マメダンゴご飯」(マメダンゴはツチグリ幼菌)が出た。やはり、何人かが持ってきてくれた。いっぱいもらったので、冷凍していたのを、私のために炊き込みご飯にした――。

老いて独りになると、すぐ日々の食事に変化が起きる。兄の話を聞いてそのことを思った。それはまた、いつか私らが経験することでもある。

家事のあらかたをカミサンに依存している。私が引き受けている家事は、糠漬けのほか食事の後片付け、風呂、月曜日朝のごみネット出し、そんなものだ。

新盆から帰った何日かあと、晩酌をしていて焼酎と水が足りなくなった。いつものように「お願い!」をすると、「私がいないと思って自分でやったら!」といわれた。それに従うしかなかった。

0 件のコメント: