2023年8月9日水曜日

盆前の草刈り

                    

田村隆一に「村の暗黒」という短詩がある。3連15行の最初の連。「麦の秋がおわったと思ったら/人間の世界は夏になった/まっすぐに見えていた道も/ものすごい緑の繁殖で/見えなくなってしまった」

「ものすごい緑の繁殖」は、街なかで暮らしている分には、一般的な夏の村の景色として頭に入ってくるだけだった。

ところが、夏井川渓谷の隠居で週末、ネギやキュウリなどを栽培するようになると、菜園はたちまち雑草に覆われる。庭も緑で地面が見えなくなる。

とてつもない繁殖力に翻弄されるようになった。「このごろよく頭に浮かぶ言葉がある。『暴力的な緑の繁殖』。わが家の庭と、夏井川渓谷の隠居の庭に立つだけで、雑草に支配されている感覚に襲われる」。先日、こんなことをブログに書いた。

「ものすごい緑の繁殖」を越えた、「暴力的な緑の繁殖」。その認識の半分は、こちらが土いじりで手を抜くようになったことが大きい。

年齢的な問題が一つ。そしてもう一つは、連日の「危険な暑さ」。今年(2023年)は日曜日に隠居へ出かけても、土いじりをする時間は長くて2時間、その程度で切り上げる。炎天下の草むしりは、それこそ自殺行為だ。

渓谷までは車で30分。毎朝涼しいうちに少しずつ――が、隠居ではできない。日曜日だけの家庭菜園だから、野菜以外の植物もそれこそ勝手に繁殖する。

庭は二段になっていて広い。どちらも小学校の分校の校庭と同じくらいある。震災前は知り合いの業者に頼んで草を刈った。今は後輩が軽トラに草刈り機を積んで来てくれる。

1回目は5月、2回目は月遅れ盆の前、そして10月にも。今年(2023年)は5月の「こどもの日」に1回目、7月下旬に2回目の草刈りをしてくれた=写真。

毎年感じることだが、草が刈られてきれいになったと思ったら、すぐまた緑で覆われる。ネギのうねにもメヒシバが生え、「ものすごい緑の繁殖」でうねが見えなくなる。

ネギのうねだけはなんとかきれいにしたものの、周りは長靴を履かないとなにがいるかわからない。そんな状態になる。

先日、いったん「暴力的な緑の繁殖」が収まったことで、ひとまず月遅れ盆を迎えられる、そんな気持ちになった

それは隠居の前の県道も同じだろう。地元の人が道端の草を刈ったので、車の出入りと通行が楽になった。

草が生えたままでは、そうはいかない。対向車が来ると、草をこすりながら進まないといけないところもある。

冒頭の詩に戻る。第2、3連はこう続く。「見えないものを見るのが/詩人の仕事なら/人間の夏は/群小詩人にとって地獄の季節だ/麦わら帽子をかぶって」「痩せた男が村のあぜ道を走って行く/美しい詩のなかには/毒蛇がしかけてあるというから/きっとあの男も蛇にかまれないように/村の小宇宙を飛んでいるのだ」

隠居の上と下の庭をつなぐ階段にマムシがひなたぼっこをしているときがあった。「村の小宇宙」を飛ぶようなことはしないが、「蛇にかまれないように」は注意した。

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