ある時期、アイリッシュミュージックを集中的に聴いていたことがある。上の息子がまだ東京にいたころ、エンヤのCDを持って帰省した。それが最初だった。
確か40代半ばのころだ。以来、アイルランドに興味を持っていろんな本を読んできた。カミサンの知り合いの若い女性からは、ケルト音楽のカセットテープをもらった。郡山市までリバーダンスの公演を見に行ったこともある。
拙ブログによると、平成21(2009)年12月にはいわき芸術文化交流館「アリオス」で、アルタンとカトリオーナ&クリスによるコンサート「ケルティック・クリスマス」を聴いた。
アルタンは「ケルトの最高バンド」と称されるグループで、6度目の日本公演をいわきのアリオスから始めた、とある。
それから何年か後にテレビで「ケルティック・ウーマン」というグループを知った。いわき総合図書館にCDがあったので、借りて聴いた。
アイリッシュミュージックには、澄んだ歌声を聴かせる「ピュア・ヴォイス」の系譜があるそうだ。
エンヤしかり。「ソング・フォー・アイルランド」のメアリー・ブラックしかり。このケルティック・ウーマンもそうだった。
そのなかで、シンニード・オコナーからは少し変わった印象を受けた。
7月28日の新聞に、彼女の訃報が載った。「アイルランドメディアが26日、死去を報じた」と共同がロンドンから伝えた。
「56歳。死亡日と死因は明らかにされていない。長年、精神疾患と闘っていた」「2018年にイスラム教に改宗した」
確かオコナーのCDが1枚あったはずだ。探すと出てきた=写真。「ユニヴァーサル・マザー」という1994年のアルバムだった。
オコナーは何かに歯向かっているところがあった。夢中になって聴いたわけではない。が、異色の存在として意識の底には残っていた。
仏文学者で詩人・宮沢賢治研究者の天沢退二郎さんが1月に、同じく仏文学者で文芸評論家の菅野昭正さんが3月に亡くなった。このときも、学生のころから名前を知っていたので、新聞の訃報が目に留まった。天沢さん86歳、菅野さん93歳。記憶と現実の落差が大きいことにとまどった。
メディア、あるいはネット社会ではふだん「遠い人」の死が近い。向こうからやってくる。が、リアルな社会ではかえって「近い人」の死が遠くなりつつある。
近所も近所、このごろ姿を見ないようだが……と思っていたら、1カ月前に亡くなっていた。それを知ったばかりだったので、ついオコナーの訃報から「遠い死、近い死」という言葉が思い浮かんだ。
家族葬が多くなって、隣組でも「知らせ」が届かない、というケースが増えつつある。「生きる」ことだけでなく、「死ぬ」ことも地域との関係のなかでは希薄化していく、そういうことなのだろうか。
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