異常な暑さが続く。セミの鳴き声がいっそう暑さをかきたてる。そんな危険な暑さの日本に、スペインから旧知のダニエルがやって来た。
ダニエルはスペイン在住の画家阿部幸洋(いわき出身)の亡妻すみえちゃんがかわいがっていた近所の男の子だ。といっても、もう30代半ばになる。
すみえちゃんを介して日本語と日本の文化に興味を持ち、今はスペインのUCLM(カスティーリャ=ラ・マンチャ大学)で日本の歴史を教えている。
夏休みになると、日本研究のために来日する。コロナ禍の前の2019年、阿部を介していわきでの「民泊」を引き受けた。
いわきへ来る日や滞在日数などは、本人からメールで連絡がきた。4年前、初めて顔を合わせたときの様子を拙ブログから振り返る。
――8月15日朝、札幌から移動し、いわき駅には夜の7時過ぎに着く、というメールが入る。駅前からタクシーで来るよう、手順を説明し、「あとは電話で」と念を押したが、ケータイは鳴らなかった。
7時半を過ぎてメールをチェックすると、「いわきに着いた。草野駅に行きます」。不意を突かれた。まだアルコールを口にしていなかったので、すぐ草野駅へ車を走らせたが、駅には車も人もいない。
「外国人が降りなかったか」。駅員に尋ねると、「降りた、男と女」。それらしい歩行者を探しながら、ゆっくり戻ると、神谷マルト店の手前で、大きなトランクをガラガラ引いて進む2人が目に入った。連れは妻のラサレットだった――。
今回、コロナ禍を経て4年ぶりに来日した。阿部がいわきで個展を開いたときに話があり、あとで本人からメールが入った。
期間は8月22~25日の3泊4日だ。22日に「夜8時半にいわきに着きます」。メールがきて、また4年前と同じドタバタ劇を繰り返した。
今回も晩酌を控えていた。メールをやりとりし、いわき駅のコインロッカー前にいることがわかったので、夫婦で迎えに行く。
その日は前に泊まった、わが家の向かいの故義伯父宅に案内して終わり、翌日夜、歓迎の小宴を開いたのだが……。街から戻ってきたのは7時半だった。
タクシーには乗らずに、とにかく歩く。それに、向こうとこちらでは夕食の時間感覚が異なっている。
わが家ではリタイア以来、6時前には晩酌を始める。ところが、スペインでは10時ごろから、たまたま別の日本人宅に泊まった際、7時半ごろから夕食になったので、日本ではそのころが普通だと思ったという。
違いを忘れていた。彼が戻ったころには睡魔が降りてきた。それでも、8月初めに来日したこと、アイヌに興味があること、学生も日本国内を旅していることなどがわかった。
いわきを離れる前日夕には、学生たちが草野駅経由で故義伯父宅に合流した。学生たちはその晩、街に泊まった。
夕方、街へ行くとき、わが家へあいさつに来た。「歩いていく」と聞いて、彼らスペイン人の健脚に、半分あきれながらも感心した。
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