2023年9月16日土曜日

みこし渡御

                     
 平の東部地区に移り住んで40年以上になる。「会社人間」から地域と向き合う「社会人間」になってからは、ほぼ15年。

 今は中心市街地の近郊住宅地だが、もともとは江戸時代から続く「浜街道」の一農村といっていい。

区内会レベルならなんとか地域の歴史も語れるようになったが、ムラ全体となると、分からないことが多い。

 地域内に大きな神社が二つある。一つは5月に、もう一つは9月に例大祭が行われ、通りをみこしが巡行する。

 どちらの氏子でもない。が、区内会の役員をやっているので、例大祭が近づくと神社から式典への招待状が届く。

この3年間はコロナ禍のため、規模を縮小して祭りが開催された。来賓は出席見合わせが続いた。

 今年(2023年)は例年通りの開催に戻ったため、5月には来賓として例大祭の式典に出席した。

 9月も同じように、4年ぶりの出席を予定していたが、あとで規模を縮小して開催するという連絡が入った。

 大雨が上がった土曜日(9月9日)の早朝、東の方で花火が揚がった。隣のムラに小川江筋を開削した沢村勘兵衛をまつる神社がある。その祭礼だろうか。

 午後には隣から太鼓の音が聞こえてきた。窓からのぞくと、トラックにみこしが鎮座し、白と黒の正装に近い人々が集まっていた=写真。「サカムカエ(酒迎え)」という行事なのだろう。

小川江筋と沢村勘兵衛について書いた拙ブログがある。理解を得やすいようにそれを要約・引用する。

――小川町・三島地内に夏井川のカーブを利用した多段式、木工沈床の七段の「斜め堰」がある。最も好きな水の風景のひとつだ。今からざっと350年前の江戸時代前期に築造された。

この堰によって左岸の小川江筋に水が誘導される。磐城平藩内藤家の郡奉行沢村勘兵衛が江筋の開削を進めた。

勘兵衛は、本によっては、のちに切腹を命ぜられた、あるいは追放となった、とある。正しい事績は謎に包まれているという。

明治になって勘兵衛の霊をまつるため、農民らの手で隣のムラに沢村神社がつくられた。

小川江筋の堰を研究した専門家は論文で「約300年以上にわたり大規模な改築もせずに、その機能を十分に果たし、自然景観と調和した美しいたたずまいを醸している」と、高く斜め堰を評価している。

ここを起点にした用水路は終点の四倉まで全長30キロ。現在はいわき市北部の夏井川左岸の水田約970ヘクタールを潤している――。

近隣の農家にとっては大事な神社であることがわかる。聞けば、この神社の「みこし渡御」は4年に一度だとか。コロナ禍で飛ばした年があるので、今回は7年ぶりの渡御だったそうだ。

オリンピックの年に合わせて行うので、来年もまたみこし渡御が行われるという。やはり、よく聞かないとわからないムラの行事がある。

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