2023年9月23日土曜日

林芙美子と樺太の旅

          
 前に台湾の現代作家、楊双子の小説『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社)を読んだ影響かもしれない。

ノンフィクション作家梯久美子さんの『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店)を読み返した。

台湾、南樺太は先の敗戦まで日本の植民地だった。『台湾漫遊――』の主人公は、作家林芙美子がモデルだという。芙美子は樺太だけでなく、台湾も訪ねていた。

樺太へ、台湾へ、そして満州、シベリア、パリへと、芙美子は作家活動のかたわら旅を続け、紀行文を発表した。

東日本大震災の前、野口雨情記念湯本温泉童謡館(常磐)で月に1回、童謡詩人を調べて紹介したことがある。

サトウハチローを取り上げることになって、ハチローの弟子の菊田一夫の評伝などを読んでいたら、一夫と芙美子が交流していることを知った。

あとは芋づる式で資料に当たった。『放浪記』はさすらいのどん底暮らしを描いていた。街を、男を放浪しながらも、しかし文学への希望を失わない。

作中に芙美子が20歳のころ書いた詩が挿入されている。『放浪記』はそもそも、芙美子が書いていた「詩日記」が原型だという。

「さあ男とも別れだ泣かないぞ!/しっかりしっかり旗を振ってくれ/貧乏な女王様のお帰りだ」

「矢でも鉄砲でも飛んでこい/胸くその悪い男や女の前に/芙美子さんの腸(はらわた)を見せてやりたい」

開高健流にいえば、崖のへりに立たされながらも破れかぶれ、開き直って野原を行くような小気味よさがある。

梯さんは平成29(2017)年11月と翌年9月の2回、サハリンを旅した。その成果が2部構成の『サガレン』になった。

第1部「寝台特急、北へ」は、サハリン東部の鉄道の旅を描く。芙美子の紀行文「樺太への旅」が収められている『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)がお供だ=写真。第2部「『賢治の樺太』をゆく」は、樺太での宮沢賢治の足跡を車でたどった。

『下駄で歩いた巴里』が図書館にあったので、それも手元に置きながら「サガレン』を読んだ。なかに、芙美子が楽しみにしていた北緯50度線の国境見物を断念するくだりがある。

芙美子は昭和8(1933)年8月、東京・中野署に拘留されたことがある。その半年前、築地書で小林多喜二が虐殺されている。

豊原(ユジノサハリンスク)の宿に泊まった朝、中野署にいたという巡査から電話がかかってくる。

さらに樺太庁へ行き、役人と話していると、この巡査が入って来て、なれなれしく芙美子に接する。

巡査の「侮蔑的な態度と暴言に芙美子はついに泣きだし、こんなところにはいたくないと、早々に北海道に戻ることまで考える」(『サガレン』)

梯さんは、芙美子が国境行きを断念したのは「樺太でも監視されているのではないかと思ってショックを受けたからではないか、という。

「樺太への旅」は知人にあてた手紙の形式で書かれている。彼女一流の小気味よさが感じられないのは、そのためだったか。

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