2019年7月3日水曜日

うちごうまちあるきマップ

 先週土曜日(6月29日)、内郷まちづくり市民会議の「うちごうまちあるきマップ」ウエブ版=写真=をフェイスブックで知り、ネットで詳しく見て、すぐ「お気に入り」にした。理由は、ここ何年か抱いていた疑問が氷解したからだ。
 何度も拙ブログで取り上げているので(直近は6月24日)、少々気が引けるが……。作家吉野せいの短編「水石山」に、内郷に関するこんな記述がある。好間・菊竹山の自宅を出たせいは「村を横ぎり、鬼越(おにごえ)峠の切り割りを越えて隣町に出たが、いつか見た高台の広い梨畑地区は住宅団地に切りかえられはじめて、赫(あか)い山肌が痛ましくむき出していた」。「昭和30年秋のこと」と作品の末尾にある。

内郷で大規模に開発された住宅団地といえば高坂だが、その開発が本格化するのは昭和40年代に入ってのこと。それもあって、注釈づくりを進めているうちに、「昭和30年秋」にとらわれては「水石山」の読みを誤ることになる、という思いが強まった。

いわきでロケをした映画を紹介するイワキノスタルジックシアター第4弾として、昭和30(1955)年公開の「浮草日記」が6月23日、いわきPITで上映された。内郷の常磐炭砿住吉坑のズリ山がアップされたシーンを見て、昭和30年の団地開発はありえないことを確信し、今度の「うちごうまちあるきマップ」ウエブ版でその“確証”を得た。

 マップは三つに分けられる。かつての炭鉱鉄道を軸にした「入山線沿線」「内郷線沿線」、そして「好間炭砿専用鉄道沿線」。炭鉱はずいぶん前に閉山し、跡地は再開発された。しかし、まだ「産業遺産」が見られる。炭鉱で栄えた内郷の歴史を踏まえながら、「今」を楽しんでもらおうというものらしい。

「住吉坑ズリ山」についての、マップの説明。「秀麗な三角形を備え常磐炭田では名実とも随一とされ、内郷高坂の梨畑が連なる山並みを越えてそびえたっていた」=写真下(故若松光一郎さんのスケッチ画。「浮草日記」のチラシから)
「高坂団地」については、「炭鉱閉山後の地域経済の悪化から脱却するため、内郷市(現いわき市)が施策として推進したベッドタウンづくり事業の一環で造成された住宅団地。(略)福島県住宅供給公社が主体となって昭和39年から40年にかけて造成が行われたのが現在の高坂一丁目の住宅団地である。その後、昭和41年から住吉坑ズリ山を整地して高坂二丁目が造成された」。

「梨畑の山並み」とはズリ山の向かいの丘陵、つまり今の高坂一丁目。この二つの解説から、高台の梨畑が住宅団地に切り替えられ始めるのは昭和30年ではなく、早くても同39年以降ということになる。

「水石山」を含む作品集『洟をたらした神』は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。しかし、この例からわかるように、フィクションも取り入れた“事実小説”というべきものだった。「百姓バッパ」の胸底には若いころからずっと文学の鬼(デーモン)が棲んでいた。

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