著者は福島市在住で、福島県職員OBの62歳。新二(1906~97年)の孫(娘の子)だそうだ。孫が評伝を書いたことを初めて知った。
山村暮鳥を中心とした「いわきの近代詩史」は、日本の詩史のなかでも特異な位置を占める。それを戦前の画期とすれば、戦後は中通りの新二や三谷晃一、斎藤庸一らが県内詩壇をリードした。若いころに文学をかじった人間としては、新二も、三谷・斎藤も学ぶべき先輩詩人だ。
とはいえ、記者になって事件・事故を追いかけているうちに、新二も、三谷・斎藤も頭から遠ざかった。それを思い出させてくれたのが一世代下の知人たちである。
インターネット古書店を営む若い仲間が、東日本大震災後、いわきで掘り出した新二の詩集『鬱悒(うつゆう)の山を行く』(昭和4年)を持ってきた。昭和40代後半、草野美術ホールで知り合った元美術教師が挿絵を描いていた。詩集を「買え」とも「あげる」とも言わないのをいいことに、手元に置いてときどきパラパラやる。
それと前後して、FMいわきのPR誌「みみたす」に、いわきの中山間地を探訪するカバーストーリーが載った。2014年4・5・6月号は、田人町・石住地区を取り上げた。鮫川渓谷にある小集落の、石住小・中学校の校歌にまつわる「物語」がおもしろかった。新二が作詞した。
探訪記事の筆者とはその前年、小名浜で開かれた地球市民フェスティバルで、同じFMの旧知の女性社員から紹介されて知った。
彼とはその後、連絡を取り合う仲になる。新二の取材の延長で、福島市に息子の重義(やはり詩人で、元小学校校長)を訪ねた折、詩集『夏の栞
秋の栞』(平成5年)をもらった。それを、「私より隆治さんが持っていた方がいいから」と託された=写真(右が新二、左が重義の詩集)。重義は去年(2018年)亡くなった。
新二―重義とつながったところへ、今度は新二の孫が評伝を書いた。3世代に及ぶ文学の血を確かめるためにも、ぜひこの本を読まねば――そんな気持ちになっている。
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