2020年6月27日土曜日

活字でつながりが復活

 5月中旬から古巣のいわき民報が、「夕刊発・磐城蘭土紀行」と題して拙ブログを連載している。久しぶりに地域紙ならではの、生の反応を楽しんでいる。
知人からはがきが届く。電話がかかってくる。古巣に届いた読者の手紙のコピーを、後輩が持って来る。さらには、旧知の女性が「ダンシャリをした本があるので」と連絡をよこす(前に、古着・古本・食器などを必要な個人・団体に渡すリサイクルの中継基地のようなことを、カミサンがやっている――と書いた。きのう=6月26日、本を引き取ってきた=写真)。そんな双方向のつながりが復活した。

「ニュースペーパー」としてはジャーナリズムが基本だが、「コミュニティペーパー」としてはともに暮らし、泣き笑い、みんなでよりよい地域社会をめざそう、というローカリズムが原点になる。それを12年ぶりに実感している。

2007年秋に古巣を離れて、やっと「締め切り」から解放された、と思ったのも束の間、年が明けると気持ちが落ち着かなくなった。ちょうどそのころ、いわき地域学會の若い仲間から「ブログをやりましょう」と声がかかった。

アナログ人間なので、デジタル技術にはうとい。全部セットしてもらい、2008年2月下旬、新聞コラムの延長でネットコラム=ブログ「磐城蘭土紀行」を始めた。一日に1回、自分に「締め切り」を課した結果、暮らしにリズムが生まれ、飲酒にもブレーキがかかった。以来、旅行で家にいないときなどを除いて、毎日中身を更新している。

 5年がたち、10年が過ぎて、電子媒体(ネット)の功罪も見えてきた。そうした情報環境のなかで、いつかやれれば、と思うようになったのが、ネットと新聞のコラボレーション(協働)だった。ネットとは無縁の高齢者がいる。その人たちにも読んでもらいたい。古巣もまた、コロナ禍による行事・集まりの中止・延期で取材対象が急減し、紙面づくりに苦慮している。一気に両者の思惑が一致した。

ダンシャリの電話をかけてきた女性は、私がライフワークにしている「吉野せい『洟をたらした神』の世界」にも登場する詩人猪狩満直の娘さんだった。嫁いでせいの実家の近くに住んでいる。「せいの実家は?」と聞くと、家へ案内してくれた。それだけではない。嫁ぎ先とせいの実家が姻戚(いんせき)関係にあるという。

 確かに、ブログをやることでネットを介した出会いは増えた。世代を超え、地域を超えてネットワークは広がった。とはいえ、生身のつきあいと重なる部分は少ない。満直を介したリアルなつきあいが、さらにせいの実家の確認へとつながった。これはネットと活字のコラボ効果だと、はっきり言える。

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