2020年6月18日木曜日

やっぱり“ゴミュニティ”

 地域社会には人が平穏に暮らすためのルールやマナーがある。たとえば、生活ごみ。燃やすごみ・燃やさないごみ・容器包装プラスチックなど、ごみの種類によって回収日が決まっている。そのため、年度が替わる前に行政が「ごみカレンダー」(地区によって異なる)を全戸に配布する。
 違反ごみは、収集車の作業員がラベルを張って残していく。燃やすごみも出し方が悪いとカラスに狙われて、生ごみが路上に散乱する。大多数の人はルールもマナーも守っているのだが、たまにルーズな人がいて波風が立つ。主なルール・マナー違反は、前夜に出す、生ごみを外から見える状態で出す、燃やすごみも燃やさないごみも混ぜて出す、などだ。

 家の前にごみ集積所がある。ごみカレンダーに従って月曜日の早朝、家で保管しているごみネットを出す。ネットはカラス対策だが、万全ではない。1羽がネットを持ち上げる、そのすきに別の1羽がごみ袋を引っ張りだす、といったことを連携してやる。ごみ収集が終わる週末には、ネットを引っ込める。ネットがない方が美観的にもいいし、人も違反ごみを出しにくいはず――そう考えてのことだ。

ほかでもそうだろうが、家の前にごみ集積所があると、違反ごみやカラスには鈍感ではいられない。違反ごみがあれば、無駄とは知りながらも注意喚起の張り紙をする=写真。カラスが食い散らかした生ごみを片付ける。だれもやらないから、やる。その繰り返し。ごみ問題はエンドレスだ。

年度が替わって、よそから人が移り住んだときなどに違反が目立つ。そのつどカリカリしたものだが、度重なると胃や心臓に悪い。あるときから、「コミュニティは“ゴミュニティ”、ごみ問題が落ち着いていれば地域社会は平穏だ。しかし、必ずマナー違反はある、腹を立てるな」と自分に言い聞かせるようになった。

戒めとしているのは、ゲーテが死ぬ直前に書いた4行詩「市民の義務」だ。銘々自分の戸の前を掃け/そうすれば町のどの区も清潔だ。/銘々自分の課題を果たせ/そうすれば市会は無事だ。」

このごろはもうひとつ、「媚(こ)びない、キレない、意地を張らない」が加わった。「ミスター・ラグビー」と呼ばれた故平尾誠二さんの『生きつづける言葉――情と知で動かす』(PHP、2018年)のなかにあった。

組織論だが、コミュニティとの向き合い方にも通じる。キレないのは「キレてもまったく意味がないからだ。一瞬の鬱憤(うっぷん)ばらしにはなるけれど、事態は悪化してしまう」。これを“ゴミュニティ”に重ねて、地域には違反ごみを出す人間が必ずいる。キレるな、理不尽に負けるな――と自分に言い聞かせるようにしている。

ごみ集積所は至るところにある。そのすべてでおそらく、カラスの食い散らかしと違反ごみを経験している。誰かがその始末をしなくてはならない。行政区の役員さんのなかには、「集積所をきれいにすることくらい、なんともないから」といってくれる人がいる。こういう人たちによって地域社会の平穏は支えられている。

にしても、急に違反ごみが続くようになった。だれが出すのだろう。透明人間になって、ごみ集積所のそばに立ってみるか――などと、妄想をふくらませることもある。

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