2020年6月25日木曜日

キュウリの赤ちゃん

 小学生の夏休みの宿題といえば、アサガオの観察日記が思い浮かぶ。たぶんそれと変わらない。毎朝、台所の軒下のキュウリを観察する。たまに写真を撮ったり、気づいたことを書きとめたりする。これは、そのなかでも特に驚いたキュウリの赤ちゃんの話。
全体はまだ2~3センチ。雌花のつぼみと、その基に形成されつつある実を、単なる観察記録の一コマとしてパチリとやった。撮影データをパソコンに取り込んで画像を拡大すると、思いもしない形状があらわれた。表面に、うっすら緑がかった球体(イボ)がいっぱいある。しかも、球体の中央から同じ色の繊毛が1本のびている=写真。なんだ、これは! 食べごろのキュウリの表皮と姿かたちがだいぶ違っているではないか。

未熟果も未熟果、キュウリの赤ちゃんだ。その水玉っぽいものが何なのか、ネットで検索した。行政や公益社団法人、「中学の理科」などの情報から、次のようなことがわかった。

キュウリは、子房が果実になり、子房のなかの胚珠(はいしゅ)が種子になる。雌花の付け根に長い子房と刺毛がある。アップした写真でいうと、右の親づると左のつぼみの間にあるキュウリの赤ちゃんが子房、イボイボが刺毛ということになる。

イボ状の突起は、やわらかい未熟果が動物たちに食べられるのを防ぐためにある。熟すると今度は、動物たちが食べやすいように棘(とげ)を落とす。果実の中の種子を遠くへ運んでもらうため、だそうだ。なかなかよくできた“生存戦略”だ。

人間が食べるのは、しかし完熟前の濃緑色のキュウリ。中ではまだ種子は形成されていない。とげもまだ少しチクチクする。その食べ方は――。まずは、みそをつけて生で。次に、漬ける、炒める、みそ汁の具にする……。私は主に、糠(ぬか)漬けと古漬けにする。

軒下の初物は酒のつまみとして“みそきゅう”にした。2本目は糠床に入れた。夏井川渓谷の隠居で栽培しているキュウリもなり始めると、一度には食べきれないほど採れる。7月になれば、さらにお福分けのキュウリが加わる。そのために、糠床とは別の甕(かめ)を用意して古漬けにする。

6月初めの夏のような暑さとは打って変わって、梅雨入り後はじめじめした天気が続く。毎日のキュウリの観察のポイントは、根元の土の乾き具合と葉つゆの有無だ。これもネットで調べてわかった。

おととい(6月23日)の夕方、根元が乾き気味だったので水をやったら、翌朝は全体に葉つゆができていた。水は控えればよかった。きのうは水やりをがまんした。今朝は、葉つゆが一部にしかない。いい感じだった。

なんでもそうだが、微に入り細を穿(うが)つように眺め、調べ、考えると、少しは知恵がつく。それで、きのうよりはもっとキュウリの気持ちに近づける、ということになるのかもしれない。

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