年のころは50歳前後。古紙回収の手伝いをして生活費を工面しているという。その古紙回収が中国の輸入規制とコロナ禍で止まった。たちまち暮らしが窮迫した。コメもなくなった。スーパーでは、ツケはきかない。結局、地域のコメ屋へかけこむことになる。
コメは日本人の主食。貧富に関係なく、いのちをつなぐために日本人はコメを食う。コメ屋は、店の経営と市民のいのちの間で揺れ動く。先々代、先代がそうしたように、期限を切ってコメを貸す、ということになった。先々代も先代もしばしば代金を踏み倒されたそうだが、それでも貸さないわけにはいかなかったという。
1人10万円の「特別定額給付金」の書類が半月前(5月23日)に届いた=写真上1。これは、すぐ書いて送った。彼にも当然、届いたはずだ。ちゃんと手続きをとっただろうか。
今度のコロナ禍は、業種を超え、世代を超えて、暮らしの隅々にまで影響が及んでいる。加えて、世界同時進行だ。巡りめぐって厳しい話が届く。
バナナが品薄になった。コロナ禍で現地での移動が制限され、収穫量が減った。一方で、ステイホーム(巣ごもり)が長引き、消費量が増えた。品薄になれば値段は上がる。収穫ができなければ賃金は止まる。ステイホームを余儀なくされた側も事情は同じだろう。だれもが経済的な不安を抱えて暮らしている。
ザ・ピープルの古着回収事業も影響を受けた。フェイスブックに載った理事長コメントによると、いわきのチャリティーショップが一時休業し、収益が大きく落ち込んだ。トラックで福島県内を回り、古着を回収する余裕がなくなった。輸出もストップし、古着の保管場所が限界に近づいた。このため、遠隔地の福島市内の回収ボックスはやむなく撤収し、ザ・ピープルの福島店も閉店した。
コロナ問題は遠い都会の話ではない。感染者が少ないといっても、社会経済活動の荒波は地域の片隅で暮らしている人間を直撃する。
人が肩を寄せあって生きている地域社会こそ時代の最先端、政策や経済の変化が真っ先にあらわれるところ――。「会社人間」から「社会人間」になって12年、私は年を追うごとにその思いを強くする。暮らしの最前線から見ると、はるか雲の上では「中抜きだ」「火事場泥棒的だ」といった言葉が飛び交うような乱気流が発生しているらしい。
中小企業の経営者を対象にした「持続化給付金」事業事務費769億円の流れがなんとも不可解だ。元請けは一般社団法人サービスデザイン推進協議会(電通、パソナなどで設立)。ここが国から受注し、20億円をとって業務の大部分を電通に再委託した。電通は電通でそれを子会社に割り振り、推進協議会設立メンバーの企業に外注したのだとか。
それよりなにより、コメもカネもない、という人間がこれから増えるのではないか――暮らしの最前線に身を置いていると、そんな心配がふくらむ。
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