2020年6月5日金曜日

特集「北関東 歌謡の系譜」

常陽藝文センター(水戸市)が発行する文化情報誌「常陽藝文」6月号が届いた=写真。特集は「北関東 歌謡の系譜」。60ページを丸ごと費やして、茨城・栃木など北関東から輩出した歌謡曲の作曲家・作詞家・歌手と、ご当地ソングを紹介している。
 数少ない定期購読誌のひとつで、カミサンは解約するようにいうが、時々こういう特集があるのでやめられない。

「常陽」の「常」は古代の「常陸(ひたち)国」からきている。「常磐」も同じで、常陸と地続きの磐城を併称した呼び名だ。茨城県といわき市は結びつきが深い。いわきの近世俳諧や近代詩を調べると、常陸(茨城県)のそれと深く広くつながっていることがわかる。その象徴が平・山崎の専称寺で修行した江戸後期の俳僧一具庵一具、それに詩人の山村暮鳥と野口雨情だ。

 特集の前文の骨子――。かつて日本の大衆音楽の分野に歌謡曲と呼ばれる楽曲があった。ヒット作ともなれば全国津々浦々に知られ、世代を超えて多くの人々に愛された。全盛期は、昭和の大戦後の復興期から高度経済成長期である。

折から朝ドラ「エール」が放送されている。ドラマの流れとしては、作曲家古山裕一(モデル・古関裕而)・作詞家村野鉄男(同・野村俊夫)・歌手佐藤久志(同・伊藤久男)の「福島トリオ」が、いよいよプロとしての活動を始めようか、というあたり。「常陽藝文」6月号でも、霞ヶ浦の「予科練」をうたった「若鷲の歌」と、それを作曲した古関を取り上げている。

大衆音楽のさきがけはなんといっても北茨城出身の野口雨情。名作童謡のほかに、「船頭小唄」「波浮(はぶ)の港」の作詞者として名高い。「若鷲の歌」は西條八十が作詞した。八十もまた大戦中、下館に疎開していたので、茨城との縁は深い。

日立生まれの作曲家吉田正を紹介する文は襟を正して読んだ。生家は空襲に遭い、父、長兄夫婦と子ども2人、それに親類の人間の計6人が亡くなる。吉田も満州で終戦を迎え、シベリアに抑留された。当初、作詞・作曲者が不明とされていた「異国の丘」は、帰還後、吉田の曲と認定される。歌詞も同じ抑留者がつくったものだった。

作詞家高野公男(笠間出身)と栃木県出身の作曲家船村徹の友情、そして大ヒットした「別れの一本杉」(歌手は福島県出身の春日八郎)。吉田正の数々のヒット曲、たとえば「街のサンドイッチマン」「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」などは、私が物心ついたころから中学生の間にはやった歌謡曲だ。時代はまさに高度経済成長期、歌にも都会へのあこがれと望郷が交錯する。

ほかに、門井八郎(作詞家=下館出身)の「チャンチキおけさ」や「船方さんョ」(歌はともに三波春夫)、矢野亮(同=筑西市出身)の「夕焼けとんび」(歌は三橋美智也)などが紹介されている。

門井や矢野は初めて知った。それでも、タイトルと歌詞を見ただけでメロディーが思い浮かぶ。全ページ特集の迫力も手伝ってか、6月号には、若い人には異世界をのぞくおもしろさ、団塊の世代には少年少女期にタイムスリップする懐かしさがある。

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