隠居の下流、籠場の滝の右岸にもヤドリギが生えている。まだ落葉樹が冬眠していた3月上旬、渓谷で初めてヤドリギを“発見”したことを、前に書いた。隠居の対岸にもある――と知ってからは、隠居に着けばあいさつ代わりに対岸のヤドリギを眺める。
それから庭の菜園で土いじりをする。きのう(6月21日)は2週間ぶりにキュウリ、トウガラシ、ナスと向き合った。というのは、1週間前、空き巣に入られたことがわかり、警察を呼んで鑑識に立ち会い、土いじりをするどころではなかったからだ。
つるを伸ばし始めたキュウリをテープの棚にしばって誘引し、早くも咲き出した花の下の脇芽を摘む。ナスも、トウガラシも、1週間前にはわからなかったが、実が生(な)りはじめていた。それらを摘んでから草引きをした。
黙々と片手三角ホーを握って草を引いていると、頭のなかをいろんなコト・モノがかけめぐる。空き巣に入ったのはどんな人間か、車か歩きか、流しか、それとも……。1週間前には感じなかった怒りが募る。しかし、土いじりが進むにつれて、今、キュウリに必要なこと、ナスとトウガラシにしてやれることをやったという安心感が、腹立たしさをも包み込む。土いじりの効用だ。
きのうは夏至、そして父の日。大学生の“孫”の親からプレゼントが届いた。酒のつまみ(サンマやイワシのうま煮・みそ煮など)だった。夜にはさっそく、サンマのうま煮ととともに、摘んだキュウリのちびちゃんをサラダドレッシングで、ナスは刻んで塩もみしたものを食べた。
日曜日はカツオの刺し身――だが、前の晩に仲間とカツ刺しを肴(さかな)に飲んだため、2日続きはさすがに“自粛”した。度が過ぎると、足の親指がしくしく泣きだす。
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