夏井川渓谷の隠居で小3と小1の孫が“水路遊び”をした。山砂の庭に水路をつくり、風呂場から伸ばしたホースで水を流すと“峡谷”ができた。
“急流”にガンダムのプラモデルを立て、“崖”の上には乾電池でつくった戦車を置く=写真。本人は刀を差している。「真田丸」に立てこもり、ガンダムの世界にワープして、なにものかと戦っている。頭のなかでは、血が沸き肉が躍っているのだろう。
新たに“支流”をつくり、石を置いたり取ったりして流れを変える。「ダム3(第3ダム?)、決壊!」と叫びながら石をはずすと、“支流”にどっと水が流れ込む。ママゴトには違いないが、実際の水害をシミュレートしているようなところもある。
長く消防行政に携わっていた知人がたまたま遊びに来ていた。孫の“水路遊び”を見ながら、「学問の始まりです」という。川・流れ・堤防・ダム・洪水(水害)……。遊びのなかから、土木や防災、歴史、自然などへの意識が芽生える、ということか。
遠いとおい昔、まだ小学校に上がるか上がらないかのころ――。阿武隈の山中に母方の祖母の家があった。かやぶき屋根の一軒家で、明かりは石油ランプ・あんどん・ちょうちん。向かい山からキツネの鳴き声が聞こえてくる夜が怖かった。
家の東側に池があった。なだらかな裏の沢から木の樋で生活用水を引いていた。樋の先に桶を置いて、たまると屋内の水瓶に運んだ。池で食器を洗い、風呂水をくんだ。池の南東側には小さな雑木林。そのなかに池からの排水路があった。小流れだ。
鼻たれ小僧だったから興味もなかったが(むろん記憶もないが)、林床にはニリンソウが、キクザキイチゲが咲いていたかもしれない。そんな小流れで笹舟をつくって流した。つくり方は忘れたが、そのへんにある草木を利用してミニ水車をつくり、小流れにかけて回した記憶もある。
学問をするところまではいかなかったが、今も雑木林を巡り、土いじり(家庭菜園)をし、小流れからクレソンを摘んでいるのは、そういう箱庭的な遊びの楽しさが忘れられないからかもしれない。“水路遊び”は、その意味では日曜日の過ごし方を決める原点になった。
それが、私にとっての「黄金の記憶」。孫たちにとっては夏井川渓谷の「山のおうち」がそうなるのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿