2016年4月16日土曜日

いわき絵のぼり

 端午(たんご)の節句を前に、カミサンが床の間に「鍾馗(しょうき)」の絵のぼりを飾った=写真。尊敬するドクターが亡くなり、奥さんが東京へ移るというので、ダンシャリのたびにリユース・リサイクル品を引き取りに行った。なかに「いわき絵のぼり」があった。
 いわき市教育委員会は昭和55(1980)年、「いわき絵のぼり製作技術」を無形文化財に指定した。技術を保持する高橋晃平、宇佐美シズイさんが認定者になった。平成元(1989)年には石川幸男さんが認定者に加わった。今は3人とも彼岸に渡ったが、それぞれ後継者が絵のぼりの製作を続けている。

『いわき市の文化財』(市教委発行)によると、いわき地方では男子の誕生を祝って、端午の節句に、子どもの母親の実家から絵のぼり(「こばた」ともいう)を贈る風習があった。主に染物屋が製作技術を伝承してきた。戦後はその技術者が急速に減る。

 絵柄は義経・川中島・弁慶・鍾馗などの武者絵や鯉(こい)の滝のぼりなどで、さらし木綿に描かれる。染物店によって作風が微妙に違うようだ。『いわき市の文化財』には、高橋・色彩の妙、宇佐美・女性的刷毛(はけ)づかい、石川・着色が得意、とある。
 
 いわき市暮らしの伝承郷できょう(4月16日)、「端午の節句展」が始まる(5月15日まで)。市民から寄贈された絵のぼりや鯉のぼり、内飾りなどを展示する。ポスターに使われた鍾馗は、今から90年前の大正15(1926)年に製作されたものらしい。それぞれの店で親から子へと直伝されてきたから、作風は極端には変わらない。だれの作品だろう。

 床の間に飾った鍾馗には、朱の角印風に製作者の名が入っている。カミサンが、「昇平」とあるから高橋工房の絵のぼりだろう、といった。そうか――。晩酌をして一夜明けたら、それを忘れた。

 ネットで「いわき絵のぼり」をチェックしていたら、同工房の屋外用のぼりの「鍾馗」と構図・目の描き方がそっくりだ。翌晩、「高橋工房でつくったものだな、これは」というと、「そう言ったでしょ、ゆうべ。すぐ忘れるんだから」と、鍾馗のようになった。

 そうだ、そうだった――と、絵のぼりを初めてじっくり見る。ん? カミサンは「昇平」と言ったが、先代の「晃平」ではないか。どうみても「晃」で「昇」とは読めない。こちらが鍾馗になろうとしたら、すでに眠りに就いていた。(そのとき、NHKが「平成28年熊本地震」の速報から特番に切り替わった)

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