満開のソメイヨシノが迎えるなか、新1年生が親に連れられて学校の門をくぐる=写真。きのう(4月6日)、近くの小学校で入学式が行われた。学区内にある行政区の一つを代表して来賓席に加わった。
小学校の入学式と卒業式には出席することにしている。入学式に臨むのは4回目だ。3月まで幼稚園や保育園の年長組だった子どもたちが、緊張したおももちで入場する。いすに座る。しかし、まだどこかに幼児的なしぐさが残っている。時間がたつと、足をバタバタやったり、あくびをしたり――。
私がそうだった。もう60年前のことだが、今も思い出すたびに、恥ずかしさと解せなさがないまぜになる。
入学式が始まる前だった。決められた教室に入り、決められた席に座った。うれしくて足をバタバタやっていたら、前の席の女の子が手を挙げた。「先生、後ろの人がいすをけります」。初日から「宗像先生」にしかられた。恥ずかしかった。と同時に、なんでしかられるのかがわからなかった。――孫のような新1年生を見ているうちにそんなことを思い出した。
新1年生が名前を呼ばれ、「ハイ」と返事をして起立し、すぐ着席する。私の下の孫も別の小学校で、こうして少し緊張しながら入学式に臨んでいるのだな――目の前の子どもたちに孫の姿が重なった。
入学式は午前10時から1時間ほどで終わった。帰宅してしばらくすると、下の孫がランドセルを持って、親に連れられてやって来た。3年生に進級した兄も一緒だった。まずは庭に出て写真を撮る。
カミサンは茶の間の本棚やタンスの上に孫の写真を飾っている。上の孫の入学写真は額に入っている。
私にはその種の写真がほとんどない。というのも、小学2年生に進級したばかりの夜(4月17日)、町が大火事になった。いのち以外は灰になった。家はもちろん、赤ん坊の、幼児の、小学校入学時の写真も。だから、私はどんな赤ん坊だったのか、どんな5歳だったのか、手がかりになる写真がないので思い出せない。
今の親たちはスマホで即座にわが子の写真・動画を撮ることができる。入学式でもスマホの放列ができた。子どもの写真は親の愛のあかし。いっぱい撮って、目に見えるところにいっぱい飾ってやって――と思わずにいられなかった。
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