テレビ局の元報道カメラマン戸部健一さんが亡くなった。きのう(4月26日)のいわき民報「続・ファインダーがくもるとき」が絶筆になった=写真。併せて、戸部さんの姻戚でもある友人(いわき地域学會副代表幹事)が追悼文を寄せた。
絶筆は、遺族に託されて友人がいわき民報社に届けた。その帰路、わが家へ立ち寄り、戸部さんの死を知らせた。すでに葬儀も家族だけですませたという。
「私は『日本一の幸せ者』かも知れない。いま、何の後顧(こうこ)の憂いもなく、この世を去ることができるのは、多くの知人、友人、そして肉親たちの好意(厚意)によるものです。(唯一ツ、心残りなのは、今年百歳を迎える老母のことだけである。)」。冒頭8行の文章だ。
もう何年前になるだろう。戸部さんに連載を依頼した。400字詰め原稿用紙に万年筆で刻みつけるようにつづった大きく強い字が目に浮かぶ。
絶筆はしかし、刻みつけるような強さはあったか。文体が「である」から「です・ます」に変わる。意識の清明さが失われる前に、気力を振り絞ってつづったのだろう。内容も、父の戦争体験、自分のベトナム戦争取材体験、国際政治、南京への語学留学と、走馬灯のように変わる。
ときどき、いわき総合図書館で顔を合わせた。あるときから急激にやせた。「続・ファインダーのくもるとき」の担当者が、びっくりして電話をかけてきたこともある。私は知らなかったが、本人は病気と闘いながらも受容し、平静を保っていたのだ。絶筆でも報道人らしく自己客観の姿勢を貫いた。見事な生の終わり方だと思う。
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