おととい(4月12日)の拙ブログ「巨大余震があった」に、フェイスブックでいくつかコメントをいただいた。
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「やっと片付けが終わってぼちぼち仕事を再開しようかと思った矢先の巨大余震でした。『心が折れる』という言葉の意味を初めて理解しました」(いわき市常磐)「3・11では家はほぼ大丈夫でしたが、4・11で家が北西にずれ、壁の隙間から朝の光が入るようになりました!」(いわき市山田町)
「4月11日、寒い雪模様の3月と同じような嫌~な天気でした。そんな話をしていたら、ドスンと。雨でしたよねぇ。一時停電になった家についてからボタボタ天井から降ってくる雨と格闘しました。(略)3月は何ともなくて4月に特にやられたという感じではありませんが、3月から既に屋根瓦は落ち壁は剝れ……でした」(いわき市泉町)
「3・11で家が割れるようにひびが入り、4・11でがばっと開きました」(場所不明)
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4・11(4・12も)は内陸の直下型地震だった。いわき市南部、田人町の井戸沢断層付近と東隣の湯ノ岳断層が動いた。それから5年のコメントに触発されて思い出したことがある。
まず、いわき市内郷――。スペインのグラナダに住む知人の実家の庭で地割れが起きた。母屋の基礎がおかしくなり、蔵にもひびが入った。
夏井川渓谷――。幹線道路の県道小野四倉線は3・11の落石の影響で通行止めのまま。4月13日、迂回路(国道399号~母成林道~江田)を利用して様子を見に行くと、隠居はブレーカが下りていた。独りで満開のアカヤシオの花見をする。
1年半後の2012年9月29日、田人町へ――。いわき地域学會主催で被災地巡検が行われた。最大2メートルに及ぶ道路の段差や田んぼを貫く亀裂は、復旧工事などの結果、それとはわからなくなっていた。が、3人の死者を出した御斉所街道の土砂崩れ現場=写真=では、崩落の規模の大きさに息をのんだ。(以上、4・11関連の拙ブログによる「巨大余震」余話)
沿岸部を襲った大津波に比べれば、4・11の報道量は極端に少ない。ピンポイントの地震というとらえ方なのだろう。いわきの内陸部に住む私たちは、3・11の本震の怖さを知った分、4・11(そして4・12)の強烈な余震におののいた。内陸部の「B級被災者」にはむしろ、この巨大余震の「傷」の方が大きかった。それを、市外の人にわかってもらえるとありがたい。
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