いわき市を震源とする巨大余震の様子をブログに書いた。その抜粋をまた再録する(多少は文章を修正している)。4日後の4月16日には、津波に襲われた久之浜の海岸でひっくり返っている車を見た=写真。これもふだんは忘れている。
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4月11日午後2時46分。家で1分間の黙祷をした。その2時間半後。夕方5時16分にまた、大きいのがきた。震度6弱。「3・11」並みだ。外へ飛び出した。しかも、今度は揺れているうちに停電した(雨で路面が濡れている、店は停電で暗い)。折から雷雨が暴れていた。「地震・雷・火事・津波、そして原発」。バキッ、バキッ。少し先で火花を散らす落雷を初めて見た。本などが少し落下した。
カミサンはすぐ、風呂に水を貯めた。正解だった。電気はおよそ1時間後に復旧したが、水はその前に再度止まった。
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それから2日後のブログの抄録――。「3・11」以来となる震度6弱の強い余震が、4月11日午後5時16分ごろと翌12日午後2時7分ごろ、いわき市を襲った。11日は即停電したものの、およそ1時間後に明かりが戻った。12日は大丈夫だった。
11日、水道は浴槽に水を貯めることはできたが、間もなく断水した。あの日からちょうど1カ月で再び振り出しに戻った。12日、平市街に用があって出かけたら、水道局本庁舎で人がひっきりなしに水をくんでいた。不安がまた広がる。
飲料水だけではない。余震では、いわき市田人(たびと)町石住地内で土砂崩れが発生し、道沿いの民家2棟がつぶれ、3人が死亡、3人がけがをした。命まで襲いにきた。さらにもう1人、車で通行中の中通りの青年が亡くなった。
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文字通りの「天変地異」だった。生きた心地がしなかった。そのときの「記録」から「記憶」がよみがえる。
折も折、「もりかけ問題」で「記憶の限りでは」というコメントを発して、逃げようとする人がいる。それが、その場しのぎの言い訳にすぎないことを、庶民は直観的に知っている。愛媛県側から「記録」を出されても「記憶」がよみがえらないとは……。文書は本来、「備忘録」ではないか。「記憶」なんてあいまいだから、ぎりぎり正確な「記録」を残すのだ。
あれから7年。天地のふるまいに畏(おそ)れを抱く一方、人のふるまいにはつい「天知る、地知る」と言ってしまいたくなるような状況が続いている。
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