2018年4月20日金曜日

「ぶらっと会」

 だれかがいった。「ぶらっと会」。なるほど。「ぶらっと同窓会」よりはしっくりくる――。
 東日本大震災が起きるとすぐ、シャプラニール=市民による海外協力の会が初めて国内支援に入った。緊急支援の手薄ないわき市で、以後、5年間、交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。前から夫婦で関係している国際NGOなので、2016年3月12日に閉鎖するまで、ちょくちょく顔を出した。

「ぶらっと」で地元採用スタッフとして働き、ボランティアとしてかかわった人間10人前後が、今も年に1~2回、顔を合わせる。「ぶらっと」が閉鎖してからは“同窓会”になったが、集まりはその前から続いている。ご主人の仕事の関係で5年ほど、中国で暮らすことになったTさん母娘の歓送会がきっかけだったか。その仲間の集まりがおととい(4月18日)夜、平の街なかで開かれた。

 去年までは、Tさん母娘が一時帰国するたびに声がかかった。男は私一人。幹事役は地元いわきの元スタッフのフラダンサー。今度も参加したのは南相馬市、双葉町出身の元スタッフ2人、浪江町と富岡町から避難中の元ボランティア、同じくボランティアで、いわきの海岸部で津波被害に遭った、私らと同年代のピアノの先生。全員が被災者・避難者だ。
 
 Tさんの娘のHちゃんは、初めて会ったときには幼稚園児だった。今は小学6年生だ。年ごとに成長がわかる。Hちゃんを介して、私は孫の、別の人はわが子の成長を確かめている。

 今回は、一時帰国ではない。間もなく任務を終えるご主人より一足早い「おかえりなさい」の歓迎会だ。そこへ食事会が始まる直前、Tさん母娘と一緒にフランス人の写真家デルフィーヌが顔を出した。

 震災から1年後、「ぶらっと」に彼女がやって来た。英語が堪能なTさんが以後、彼女に力を貸してきた。彼女がいわきを拠点に被災者・避難者の写真取材を重ねて1年が経過したころ、ドイツのベルリンで、同地在住の芥川賞作家多和田葉子さんと写真と詩の2人展を開いた、

 デルフィーヌは今回、たまたまTさんの家へやって来た、すぐ東京へ帰るという。ではと、全員がそろわなかったが、記念写真を撮った=写真。彼女も「ぶらっと」の仲間の一人といっていい。

 震災・原発事故という災禍はあったが、そしてそれは今も尾を引いているが、「ぶらっと」を介した新しいつながりが生まれた。「ぶらっと」は閉鎖されたが、仲間としての意識は共有している。だから、「ぶらっと同窓会」ではなく「ぶらっと会」という呼称が納得できた。

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