俳諧ネットワークは身分を超え、地域を超えて形成された。一具のそれは、磐城・福島・須賀川・川内をはじめ、江戸、常総、出羽、はては蝦夷地の松前まで広がっていた。一方で、俳諧とは別のネットワークとも重なり合って、人は多重・多層につながっていた。
一具と須賀川の俳人市原多代女(1776~1865年)は同門だ。きょうだいのように親しく交流した。多代女はまた富山の俳人とつながっていた。富山の研究者は、この俳人は「売薬さん」ではなかったか、と推測する。
すでにこのころ、越中富山の「置き薬ネットワーク」が全国に広まっていた。俳句ではないが、郡山市の阿久津曲がりネギは明治時代、その売薬さんが「加賀ネギ群」の種をもたらしたのが始まりだそうだ。
俳諧関連の本を読みあさっているなかで、大石圭一『昆布の道』(第一書房・1987年)に出合った。越中富山では、薬の原材料をどこから調達していたか――。北前船が関係していた。
北前船による蝦夷地~富山~琉球~清国の「昆布の道」、つまり「昆布ネットワーク」が形成された。富山のある売薬商は北前船の船主でもあった。北の昆布が富山経由で薩摩に渡り、琉球で「唐物」(薬品の原材料など)と交換された。その唐物が薩摩経由で富山に流入した。
さきおととい(4月19日)の夜、BSプレミアムで「英雄たちの選択」を見ていたら、この「昆布の道」が出てきた。「富山の売薬商から入手した昆布などを琉球の交易船に積み清国で販売」といったテロップも登場した=写真。それで、前に読んだ本を思い出したのだった。
番組のタイトルは<幕末秘録・琉球黒船事件 調所広郷(ずしょひろさと)>。密貿易で薩摩藩の財政を赤字から黒字に転換した家老が主役だったが、私としては「昆布の道」=「薬の道」、そしてそこから広がる置き薬ネットワークに引かれた。
江戸時代に限らないが、人はさまざまなネットワーク=コミュニティの中で暮らしている。ネットワークは多重・多層なほど面白い。寄り道を楽しめる。
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