渓谷の小集落・牛小川では、アカヤシオ(方言名・岩ツツジ)が花盛りの日曜日、集落の裏山にある春日神社のお祭りが行われる。といっても、各戸から1人が出てやしろを参詣し、ヤドで直会(なおらい)をするだけだ。何年か前までヤドは持ち回りだった。このごろは、Kさんが納屋を改造した“コミュニティスペース”を会場にしている。
集落の祭り、略して“春日様”は、私にとっては得がたい情報収集の場だ。拙ブログを読むと、こんなやりとりがあった。
集落ではマツタケを生のまま味噌に漬ける。しかし、「うまくねぇ」。マツタケを採って食べあきたあと、なんとか保存食にできないかと創意がはたらいたのだろう。道路の上の線路からイノシシが列車にはねられて降ってきた。それをすかさず拾って、さばいて食べた。水力発電所の導水路でウナギやカニを捕った。
渓谷の名勝・籠場の滝は「うなぎのぼり」の場だった。滝が行く手を阻んでいる。魚止めの滝でもある。上流へ向かうウナギは、それでわきの岩盤をよじ登っていく。籠をかけておけば、難なく魚が飛び込んで来る。「籠場の滝」の由来だ。
ある年は、やしろへ行く途中の杉林のなかで、杉の樹皮がそそけだっているのを指さしながら、別のKさんが言った。「ムササビかリスがはがしたんだ」。樹皮をはいで巣の材料にしたようだ。
きのうは、野鳥のウソ3羽とイノシシの話になった。3月にわが隠居の庭にあるシダレザクラのつぼみが、このウソたちに食い散らかされた。花が満開になったら“てっぺんはげ”になるかもしれない、と書いた。「その通りになった」と、自然に詳しいKさんが言う。
イノシシの話はこうだった。真夜中、自然に詳しいKさんの家の庭先にイノシシが現れた。それを見て、撃退用に置いてある花火を鳴らした。イノシシは逃げた。少し離れた家の、これまたKさんが応じた。「夜中に花火を上げんなよな」。聞けば、夕食を摂るとすぐ寝る。未明の1時には起きてしまう。それで、花火の音がわかった。
街なかでは考えられない、生きものたちとのたたかい、いや、人間と自然の豊かな関係。そこからもたらされる情報が私にはたまらない。渓谷へ通い続けて飽きない理由がここにある。
0 件のコメント:
コメントを投稿