2018年4月29日日曜日

朝日歌壇の選者回顧

 新聞歌壇・俳壇は時代を映す鏡のひとつ。東日本大震災と原発事故が起きたあと、しばらく「新聞歌壇・俳壇」をウオッチした。
 庶民は災禍をどう受け止めたのか。朝日歌壇に最初の震災詠が現れたのは2011年3月28日。<二日目につながりて聞く母の声闇の一夜をしきりに語る><陸地へとあまたの船を押し上げし津波の上を海鳥惑う><原発という声きけば思わるる市井の科学者高木仁三郎>。それはしかし、被災地から離れた土地に住む人たちの作品だった。

 被災者自身の作品が登場するのは4月に入ってから。それからさらに1カ月後の5月16日、いわき市在住読者の俳句<被災地に花人のなき愁いかな>(斎藤ミヨ子)と、短歌<ペットボトルの残り少なき水をもて位牌(いはい)洗ひぬ瓦礫(がれき)の中に>(吉野紀子)が目に留まった。

 短歌の評。「小名浜の人、仏壇にあった位牌を瓦礫の中から拾い上げた。飲み水も乏しい中でペットボトルの水で洗う。絆への切実な思いが伝わる」(馬場あき子)――。

 おととい(4月27日)の朝日「文化・文芸」欄で、朝日歌壇選者歴40年の馬場さんと同30年の佐々木幸綱さんが対談し、この40年の歌壇代表作を社会や時代の変化のなかで取り上げていた。2011年の「東日本大震災、原発事故」には2首。1首が<ペットボトルの……>だった=写真。

 作者の吉野さんはカミサンの高校の同級生だ。3年前の2015年6月中旬。シャプラニール=市民による海外協力の会が扱っているフェアトレード商品のPRと販売を兼ねて、カミサンがアリオスパークフェスに出店した。たまたま吉野さんが来場した。30年ぶりの再会だった。何日かあとの夜、電話で長々と話をしていたようだった。

 そのあとの、カミサンの話。吉野さんは俳句を詠む。が、震災直後はなぜか<ペットボトルの……>の短歌が生まれた。それを「朝日歌壇」に投稿すると、複数の選者が選んだ。年間の優秀作品に贈られる「歌壇賞」にも選ばれた。

 自分自身の体験ではなく、大津波で壊滅的な被害を受けた豊間方面へ出かけ
たときの実景を詠んだそうだ。3・11の巨大地震は東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした。その惨状は五七五では詠みきれない、プラス七七が必要だったのだろう。

 私らは内陸部に住んでいるから、沿岸部の“地獄”はほんの一部しか見ていない。が、<ペットボトルの……>には被災者すべての感情を代弁する悲しみが感じられた。

 ついでにいうと、俳句にすぐ現れた<原発忌>や<福島忌>、あるいは一般の文章の<フクシマ>には、私は同意しない。2011年7月30日付の拙ブログを一部再録する。今も同じ気持ちだという意味を込めて。
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 年4回発行の浜通り俳句協会誌「浜通り」第141号が届いた。<東日本大震災特集号>である。多くの俳人が3・11の体験を記し、句を詠んでいる。招待作品も載る。通常は50ページ前後。それより十二、三ページ多い。渾身の編集だ。

 招待の黒田杏子さんの作品に「原発忌福島忌この世のちの世」があった。「原発忌」と「福島忌」。新しい季語だ。「原爆忌」は夏(ヒロシマ)、秋(ナガサキ)。「原発忌」「福島忌」は3月11日。春(フクシマ)の季語、というわけだ。

 同誌所収の黒田さんのエッセーに、選を担当する「日経俳壇」に掲載した句がいくつか紹介されている。「おろかなる人知なりけり原発忌」「広島忌長崎忌そして福島忌」。早くも外野の人がおかしなこと(造語=季語)を詠みだした。

 新季語にやりきれない思いがわいてくる。外部から、ヒバク地に住んでいるのだという認識を強いられる。季語の消費ではないか――俳句の門外漢は静かに、しかし気持ちは激しく逆らってみたくなる。

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