2023年1月20日金曜日

神戸新聞は「阪神・淡路大震災」

   ネットで「神戸新聞NEXT」を開く。阪神・淡路大震災の特集コーナーが目に入る。最初に「あの日から、〇〇〇〇〇日」が表示される。1月17日は「あの日から、10228日」だった。鎮魂と防災の覚悟は変わっていない、という社の姿勢の表れだろう。

東日本大震災からほぼ3カ月後、阪神・淡路大震災に重ねてブログを書いた(2011年6月9日付「飛び出した本」)。それを一部カットして再掲する。

――311のときに本棚が倒れた。1階は生活空間だ。落下した本をすぐ元に戻した。2階の本棚は無事だったものの、足の踏み場もないほど本が散乱した。すぐ必要になるような本は少ないので、そのままにしておいた。411412に強烈な余震がきて、散乱している本の上に再び本が落下した。

不思議なことだが、落下した本から「読め」と言われているような現象も起きた。中井久夫編『1995年1月・神戸 「阪神大震災」下の精神医たち』(みすず書房=1995年3月刊)が出てきた。

神戸新聞社編『神戸新聞の100日 阪神大震災、地域ジャーナリズムの挑戦』(プレジデント社=1995年11月刊)と、当時の論説委員長三木康弘さんの『震災報道いまはじまる』(藤原書店=1996年1月刊)も現れた。

いずれも「阪神・淡路大震災」のあとに買い求め、読んで、本棚に置いたら、別の本に隠れてどこにあるか分からなくなっていた本たちだ。

『1995年――』の中に、中井さんの記録「災害がほんとうに襲った時」がある。このほど、『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』(みすず書房)と題して、その記録と、今度の「東日本大震災」について新たに書き下ろされた文章とを合わせた本が緊急出版された。

作家最相葉月さんは既刊の本を読み直し、「災害がほんとうに襲った時」には普遍的なメッセージがある、ついては東日本大震災下で働く医療関係者に読んでもらいたいと、中井さんと出版社の許諾を得て、インターネット上で電子データを公開している。

本でも、ネットでも「災害がほんとうに襲った時」は読める。心のケアを考える人には必読の本(文章)だ。

1991年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災発生。神戸新聞は、倒壊を免れたものの本社が「全壊」し、コンピユーターシステムがダウンした。

「未曽有の大災害に、1300人の神戸新聞社員は瓦礫の中から立上がり、新聞を発行し続けた。彼らはジャーナリズムとして、企業人として、いかに危機に立ち向かったか」(帯の文)

記者みずからがつづった『神戸新聞の100日』には、とにかく新聞を出すのだという一点に全社員のエネルギーを集中し続けた姿が描かれる。

そのときの論説委員長が三木さん。自宅が崩壊し、父親を失う。震災のあと、最初に書いた社説が「超社説」として有名になった。

「大きな反響を呼び、あらゆるメディアで取り上げられた。そっくりそのまま転載した新聞もある。被災者の姿を被災者自身が初めて綴り、やりきれない思いがストレートに伝わったからである」(『神戸新聞の100日』)

書店では、どこでも目立つ場所に大震災・原発関係の書物が平積みにされている。緊急出版されたもののほかに、阪神・淡路大震災のときに出版されたものが増刷・再版されて並ぶ。

『神戸新聞の100日』は文庫本が出た。写真集も次々に発刊された。で、わが座右にも震災関連本が並んだ=写真。

川村湊『福島原発人災記 安全神話を騙った人々』(現代書館=4月25日第1版第1刷発行)と柳澤桂子『いのちと放射能』(ちくま文庫=4月20日第3刷発行)は4月下旬、東京・代々木公園で開かれた「アースデイ東京2011」の会場で買った。

吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫=4月25日第10刷)、安斎育郎『福島原発事故 どうする日本の原発政策』(かもがわ出版=5月13日第1刷発行)……

書店に入れば、まず特設コーナーに足が向く。人類がかつて経験したことのない「原発震災」である。どう対処したらいいのか。専門家の知見や過去の出来事に学ばなくては、という思いが深い。

にしても、一つ気になることがある。「阪神・淡路大震災」がただの「阪神大震災」になっている。これはどういうことなのだろう。新聞社としての記憶の風化が始まったのか。識者の文章にも、それが散見される。「淡路」の住民は、「私らは忘れられた」、そんな気持ちでいるのではないか――。

 あの日から28年。朝日新聞は「阪神・淡路大震災」と「阪神大震災」を併用し、共同通信=地方紙は「阪神大震災」だった。神戸新聞はもちろん、「阪神・淡路大震災」である。 

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