1月21日付の「この版画は本物か」の続きのようなもの――。群青色の海を見てから、急に若いときの読書体験を思い出した。そのころから手放さないでいる本が2冊ある=写真。自分の人生を決めた本といってもいい。
本だけではない。阿武隈の山里から平市(現いわき市平)に開校した高専に入学し、主に福島県内各地からやって来た先輩・同級生と学生寮で集団生活を始めた。そのころの寮は「思想的なカオス」状態だった。それも思い出した。
1歳か2歳しか違わないのだが、先輩たちは毛沢東語録や新興宗教の話でもちきりだった。15歳の山猿は、本能的にその渦に巻き込まれたら溺れる、と察知したに違いない。政治や宗教には距離をおくと決めた。そのなかで唯一、自分と対話する回路が読書だった。
やがて、寮だけでなく自宅から通学する文学志向の先輩たちと出会う。そのうちの1人は陸上部員だった。私も誘われて陸上部に入った。
文学と陸上。学校は理系だが、自分は文系――。そう思い定めて、18歳で学校を辞め、東京での暮らしを経ていわきにJターンをし、22歳で地域紙の記者になった。
学生寮に入っていたころ、忘れられない「事件」があった。入学したとき部屋長だった1年先輩が、1年後のあるとき(確か日曜日だった)、平駅前のアーケード街で突然、演説を始めた。
私は同級生たちと遊びを兼ねて街へ出かけ、バスで寮に戻るところだった。先輩が、今、社会的に問題になっている団体の学生組織に属していた、と知ったのは少したってからだった。
そんなカオスのなかで文学にのめりこむきっかけになったのが、『現代フランス文学13人集』全4冊(新潮社)を買って読んだことだった。
なかでも、フィリップ・ソレルス(1936年生まれ)が書いた「奇妙な孤独」という小説に引かれた。
ソレルスをきっかけに、フランス現代文学の世界をさまよった。ナタリー・サロート、ロブ・グリエ、レーモン・クノー、ミシェル・ビュトールといったアンチロマン(反小説)をゾクゾクしながら読んだ。
そのあと、同じようにル・クレジオ(1940年生まれ)が「調書」という小説でデビューした。ソレルスとル・クレジオは、わが青春前期にあっては一種の灯台だった。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」
哲学者ポール・ニザンの『アデン・アラビア』(篠田浩一郎訳)の冒頭の文章にも引かれた。というよりは、この冒頭の文章が学校を飛び出して都会の孤独に押しつぶされそうになったときの支えになった。
そんな思いと結びついていることもあって、『現代フランス文学13人集1』と「アデン・アラビア」は、震災後のダンシャリでも手元に残した。
『アデン・アラビア』の訳者篠田浩一郎さんが去年(2022年)のクリスマスの日に亡くなった。94歳だったという。訃報に接したことも、このブログを書くきっかけになった。
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