きのう(1月26日)の朝は、前の日よりさらに冷え込んだ。風呂場の曇りガラスに付着した水分が凍って、羊歯(しだ)植物のような模様ができていた=写真。前の日は、これがなかった。
なにかに似ている……。しばらく考えて思い出した。アール・ヌーボーだ。フランスのガラス工芸家エミール・ガレ(1846~1904年)が羊歯紋様の花瓶をつくっていた。
平成29(2017)年秋にいわき市立美術館で企画展「ロートレックとベル・エポックの巴里(パリ)――1900年」が開かれた。そのとき、ブログで少しアール・ヌーボーについて触れた。それを一部、引用する。
チラシなどによると、産業革命後、19世紀末のパリは急速に都市化が進んだ。万博が5回も開かれた。美術館や駅が建設され、地下鉄が開通する。活字メディアが普及し、美術界ではアール・ヌーボーが生まれ、ジャポニスムの影響を受けた作家たちが活躍を始める。
1900年――。パリは享楽的な雰囲気にあふれていた。やがて、第一次世界大戦が始まる。「これまで経験したことのない恐ろしく悲惨な戦争体験をした人々は、平和で活気に満ちていたこの時代を懐かしみ、特別な思いで『ベル・エポック』(良き時代、美しき時代)と呼ぶ」ようになった。
1900年は明治33年だ。日本では詩歌を中心とした文芸誌「明星」が創刊された年で、時をおかず、さし絵などにアール・ヌーボー風の作品が登場する。ジャポニスムの影響を受けた新しい装飾芸術が逆輸入されたわけだが、やがてそれを体現するのが「大正ロマン」の代表作家、日本のグラフィックデザイナーの草分け、竹久夢二だ。
というわけで、アール・ヌーボーを代表する一人、ガレの作品が思い浮かんだのだが、現実には2日続けて寒気が体を刺した。
最強寒波が襲来した前日(1月25日)は、小名浜で最低気温が-4,9度、最高も-0.9度と、一日氷点下だった。いわき民報によると、この冷え込みは昭和6(1931)年以来、92年ぶりとか。
内陸の山田町は同じ日、最低が-6.4度、最高が-1.8度と、小名浜よりさらに寒気がきつかった。
26日はどうか。最低気温が小名浜で-6.2度、山田で-7.0度と、前日をさらに下回った。今季最低だという。窓ガラスの水分が凍って羊歯模様になるはずだ。
25日は茶の間の石油ストーブとヒーターをつけっぱなしにし、こたつで調べものを続けたが、室温が20度以上にはならなかった。
電気もフル稼働だったからか、夜、電気鍋で湯豆腐を始めるとすぐ、ブレーカーが落ちた。ヒーターを止めたとたん、室温は一気に20度を割って、17.5度まで下がった。
こうなると、家の中にいても寒気がこたえる。特に、疎林状態の頭部が。宵には毛糸の帽子にマフラー、ジャンパーと、外出するときと同じ防寒状対策をして過ごした。
26日は日中、晴れて風もなかったので、室温は少し上がった。これが冬の底であってほしい。そうなれば、あとは三寒四温の階段を上がって春を待つだけなのだが。
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