毎年、ドタバタしながら新しい年を迎える。今年(2023年)は特にそうだった。実家の兄と家業(床屋)に精を出していた義姉が急死し、みそかに告別式が行われた。
ブログを毎日欠かさずアップすることを目標にしてきたが、この年末年始はさすがに文章を書く気にはなれなかった。
それでも日常は続く。訃報に呆然としてばかりはいられない。役所などが「仕事納め」の日の朝、回覧資料(「広報いわき」1月号)を区内会の役員さん宅に届け、担当する隣組に配った。
車で届けに行こうとしたちょうどそのとき、ハマの近くに住む知人が手製の「うさぎの置物」=写真=と、日本酒を持ってきてくれた。
去年も、干支(えと)の「虎の置物」をもらった。糸ノコを使ってケヤキの板を虎の形状に切り取った。台板に立てると、ピタッとくっつく。ぐらつかない。前足と台板にマグネットがはめられていた。
今年も、同じように「うさぎの置物」をつくった。ポイントは顔に描かれた三つの赤い点。両目と口をあらわしている。表情がやさしくてかわいい。この置物を手にして少し気持ちがやわらいだ。
日帰りで告別式に参列した翌日(大みそか)は、久しぶりに会った兄や姪たちと配偶者、実家の近所の同級生たちを思い浮かべながら過ごした。
夜は、BSプレミアムで映画「ひまわり」を見た。イタリアの作家、リゴーニ・ステルン(1921~2008年)の作品が映画に重なった。
リゴーニは21歳のとき、アルプス山岳部隊の一員として、ドン河をはさんでソ連軍と対峙する。彼の第一作=大久保昭男訳『雪の中の軍曹』(草思社、1994年)=はソ連軍からの敗走体験を基に書かれた。
「ひまわり」の主人公の一人、アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)も、この敗走兵の一人だった。
映画の中身は省略するが、敗走兵のなかにはかの地で亡くなったり、助けられてとどまったりした人間がいた。アントニオは後者だった。
この映画を見て、「戦争の残酷さ」を痛感したあと、新年最初の新聞でノーベル文学賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんのインタビュー記事を読んだ。
「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常のものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです」
東北地方太平洋沖地震と原発事故がおきたとき、やはり似たような思いになった。当たり前だと思っていた日常が、実はかけがえのないものだった。何事もなく一日がめぐり、あしたもまた同じ一日がめぐってくる、そんな無事な日々が原発事故で失われた。無事であることが奇跡なのだと知った。
人に会って話す、本を読む、食べる、ふとんに入って眠る……。人は何の変哲もない日常のなかで揺らぎ、支え合いながら生きている。元日の朝に、あらためてそんなことを思った。
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