夏井川渓谷の隠居=写真=の玄関には庵号を記した額が掲げられている。「無量庵」という。故義父が名付けた。ときどき蕎麦屋に間違われる。その家の“前半生”がひょんなことからわかった。
昭和40年代半ば(ざっと45年前)、いわき市平字長橋町の元味噌醤油醸造販売業のSさんの家を義父が譲り受けた。家を解体して、そっくりそのまま渓谷に移築した。新築するよりカネがかかったという。居間が二つ、それに台所、洗面所と便所。義父はこれに“展望風呂”を増築した。
ざっと20年前、私ら夫婦が管理人を引き受けてから――。屋根瓦が古くなって表面のコーティングが消え、放置すれば雨漏りが始まるというので、瓦をふき替えた。手狭な台所も増改築し、濡れ縁を広くした。原発震災が起きると庭が全面除染の対象になり、土のはぎとり・客土が行われた。
長橋・味噌醤油醸造販売業・S家――これが、わが隠居の“前半生”についてわかっているすべてだった。
いわき地域学會の同世代の仲間にSさんがいる。最近、渓谷の隠居の元々の持ち主は「半兵衛」と言った、と聞いた。その話を親戚かもしれないSさんにすると、「それは祖父の家です」――親戚どころか直系だった。S家では代々、当主が「半兵衛」を襲名したという。
4月上旬、渓谷に春を告げる花・アカヤシオが満開のころ、Sさんを隠居に招いた。Sさんは家の内外をじっくり見て回った。そのあと、対岸のアカヤシオの花を眺めながら、私にこの家の“前半生”を聞かせてくれた。
後日、はがきが届いた。S家のルーツが書かれていた。幕末から近代、先の太平洋戦争のことにも触れている。
昭和20年3月9日深夜~10日未明、東京をB29が襲った。同じ日、平市街上空に現れた1機が、西部地区に焼夷弾の雨を降らせた。紺屋町・古鍛冶町・研町・長橋町・材木町などで294軒が炎に包まれ、16人が死亡、8人が負傷した。S家も焼け落ちた。
はがきにはこうもあった。「戦後は、無一物から再建して、この家も」祖父が建てた。家業は伯父が継いだが、その代で力尽きた。私の伯父は文学を愛したが、事業の人ではなかった――。
伯父さんはこの家で亡くなった、と聞いたとき、私は安心した。家は死者が出て初めて、魂の宿る家になる。人に歴史があるように、家にも歴史がある。わが子・孫にもいつか「無量庵」の来歴を語って聞かせようと思う。
3 件のコメント:
3-40年前にこのあたりにあった、3-40メートルの巨大な水車?のようなものをご存じないでしょうか?
https://maps.app.goo.gl/ortZPfAEWbbmZyEy8
また、20年前くらいにこのあたりに、列車の模型と団地群のような
巨大な建造物を見かけたのですが、ご存知でしょうか?
https://maps.app.goo.gl/f1izBWRaVGo9RxCr7
と書いたところで再度ストビューで見直した所、「八茎鉱山」との文字を見つけ検索した所、下記ページを見つけまして、こちらは解決しました。
http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/yaguki/yaguki.html
ちなみに私が目撃したのはこの画像のような感じのものでした。
https://library.city.iwaki.fukushima.jp/viewer/archive.html?idSubTop=2&id=3211&g=650
https://www.google.com/search?q=%E5%85%AB%E8%8C%8E%E9%89%B1%E5%B1%B1&udm=2&tbs=rimg:CUVoj6SVQch_1YXdyKgel24_1csgIAwAIA2AIA4AIA&hl=ja&sa=X&ved=0CBwQuIIBahcKEwjg6PmA27GQAxUAAAAAHQAAAAAQBw&biw=1920&bih=911&dpr=1
いわや旅館の建物のそばに2メートル強の水車はありましたが、巨大水車は記憶にないですね。
回答頂きありがとうございます。
そうでしたか、了解しました。
八茎鉱山の団地群のようなものも、なんだか夢の中で見たような曖昧なもので、不思議な気分でした。
水車については引き続き調べてみたいと思います。
では失礼いたします。。。
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