2016年6月15日水曜日

トウガラシの花

 夏井川渓谷の隠居で栽培しているトウガラシに白い花が咲いた=写真。日曜日(6月12日)、カメラを地面に置くようにして下向きの花を撮った。いっぱい実ったら、秋以降、白菜漬けに加えたり、一味にしたりする。
 トウガラシの花の写真を撮る2日前、国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のスタッフがわが家へやって来た。事務所は東京・新宿区にある。雑談のなかで、同区で「内藤とうがらし再興プロジェクト」が展開されており、シャプラもこのプロジェクトに賛同して苗を譲り受け、栽培していることを知った。

 シャプラは、バングラデシュやネパールで「取り残された人々」への支援活動をしているNGOだが、足元でも「内藤とうがらし」再興プロジェクトに協力している。私にはシャプラ流のコミュニティ維持・再生・共創活動の一環と映る。

「内藤とうがらし」「内藤新宿」――とくれば、譜代大名の内藤氏が思い浮かぶ。江戸時代前期、磐城平藩を治めたのも内藤氏。てっきりその内藤氏にからむ野菜だと思っていたが、違っていた。

 NHKの大河ドラマ「真田丸」ではないが、豊臣秀吉が天下人になったあと、大名の人事異動が行われる。さらにその後、徳川家康が天下を取ると、同じように配置転換が行われる。

「三河内藤氏」は家康の側近だ。譜代大名として、6家(信濃高遠、陸奥湯長谷、三河挙母、日向延岡、信濃岩村田、越後村上)に分かれて幕府を支えた(ウィキペディア)。

 日向延岡の内藤氏は、前任地が磐城平藩、同じいわきの湯長谷藩の内藤氏はその分家だ。新宿には高遠藩の江戸・下屋敷(新宿御苑)があった。新宿は磐城平藩の屋敷ではなかったが、内藤一族というくくりでは間接的に関係していた。

「内藤とうがらし」は江戸野菜であると同時に、高遠藩の伝統野菜でもある。実がなったら種が採れる。来年の「苗分け」を待つよりも、赤い実を二つ三つもらって試食し、一つを種採り用に保存する――「三河内藤氏」つながりでいわきでも栽培してみたい、という気持ちになっている。

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