新年度講座は、たたき台となる案が示された。講師の内諾は得たが、テーマは未定だという。いわき市内の土地利用に詳しい地理学の講師がいる。個人的な希望ながら、地理学から見た「吉野せいと内郷」というテーマが可能ならやってもらいたい、と提案した。
去年(2018年)の5月にも拙ブログで取りあげたのだが――。せいの作品集『洟をたらした神』に「水石山」が収められている。好間・菊竹山の自宅から、夫への憎しみを抱えて“プチ家出”をしたせいは、「鬼越峠の切り割りを越えて隣町」に出る。「いつか見た高台の広い梨畑地区は住宅団地に切りかえられはじめて、赫(あか)い山肌が痛ましくむき出していた」
それから田圃をたどり、炭鉱から排出された温水でうっすらと湯気の立つ川の、「くねくねの堤防をのろのろ」歩いたが、気持ちは次第にへこんでいく。「どの山もどの道もどの家も結局は無縁の空しさしかない」と悟って、「まだ陽の落ちないうちに」町へ出て、魚屋でサンマを買い、バスにも乗らずに帰宅する。
内郷支所の旧支所長室の前に、昭和36(1961)年秋の内郷市街を空撮した大型写真パネルが飾られている。去年の運営委員会のときに続いて、今回もパネルを複写した。トリミングしたのがこれ=写真。
画面右端に北西から南東へと道が伸びている。今の国道49号だ。その西側、丘陵を刻んでカーブしたあと、南東へ向かっているのが「鬼越峠の切り割り」から続く道路。二重の白線は、現国道49号バイパスだろう。左端、北から南へと延びて常磐線に合流するのは、好間からの炭鉱鉄道だ。
「水石山」は、作品末尾に「昭和30年秋のこと」とある。鬼越峠の切り割り・梨畑・水田・炭鉱・湯気の立つ川(新川)とくれば、空撮写真がそのまま「水石山」の舞台になる。ここはやはり土地利用、特に昭和30年代の「内郷市」の様子に詳しい講師に解説してもらうのが一番だろう。
去年は「水石山」にからめて、調べれば調べるほど、せいの文章の正確さが浮き彫りになる、といったことを書いたが、今はいささか違った考えを抱いている。
「事実小説」かもしれないが、やはり作家である。一筋縄ではいかない。文末の「昭和30年秋のこと」も、額面通りには受け取らないことにした。別の作品に「昭和6年夏」のできごとがあるが、現実には「昭和4年初秋」に起きたものだった。文末の年代表記も、作品に深みを与える仕掛けの可能性がある。せいは、今では「百姓バッパ」から「手ごわいばあさん」に変わった。
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