月曜日(2月18日)、街へ行ったついでに古本屋へ寄った。文庫本のコーナーにあったのを手に取り、パラパラやったら、「松茸(まつたけ)」の字が目に入った。値段は150円。家に子規全集が眠っている。引っ張り出して探すのも面倒だ。迷わず買った。
一読、子規の刺し身好きは、尋常ではないことを知る。『仰臥漫録』は、明治34(1901)9月2日に書き始めた。最初の1週間、いや半月だけでも、昼はほとんど刺し身を食べている。
2日「鰹(かつを)のさしみ」。3日「鰹のさしみに蠅の卵あり、それがため半分ほどくふ」。4日「鰹のさしみ」。5日「めじのさしみ」(めじはメジマグロのことだろう)。6日「さしみ(かつを)」。7日「かつをのさしみ」。8日「松魚(かつお)のさしみ」。
そのあとも、9日「まぐろのさしみ」(晩は昼の刺し身の残りも)、10日「松魚のさしみ」、11日「鰹のさしみ」、12日「松魚のさしみ」、13日「堅魚(かつお)のさしみ」と続く。
なんだろう、この病人の食欲は、刺し身好きは――。書き出しているうちにあきれてきた。
明治30年代、魚屋の冷蔵・冷凍技術はどんなだったか。ましてや、家庭の冷蔵・冷凍方法は? 「鰹のさしみに蠅の卵あり」がよく示しているのではないか。
私もときどき刺し身の話を書くが、子規ほどではない。食べるのは週に1回、日曜日の晩と決めている。ほぼ毎日、子規が口にしていた刺し身の量はどのくらいか。一人前6~7切れとして、1週間換算では45切れ前後だろう。週一の私は、マイ皿(径22センチの染付の中皿)に盛り付けてもらう。自分の写真で数えたら、30切れくらい。一度に4~5人分というところか。
しかし、それが甘い計算だったことを9月30日の日記が教える。9月1カ月の支払いのうち、魚(刺し身)代は6円15銭。一皿15銭ないし20銭とあるから、単純計算で9月は400~300皿分を食べたことになる(ただし、子規一人で、とは限らない。妹の律と母親がいる)。
それに比べたら、わが刺し身好きはかわいいものだ。2月10日の日曜日は飲み会があって魚屋へ行けなかった。17日は、行くのが遅くなった。魚屋のシャッターが閉まったところへ着いた。車にかぎをかけているひまはない。走ってシャッターをガンガンやったら、数秒後にシャッターが上がった。
若だんなが顔を出す。「カツオの刺し身があります。先週は来なかったですね」「夜まで催しが続いたものだから。次の日(建国記念の日)来たんだけど、閉まってたよ」「ああ、早く閉めたから」。2週間ぶりにカツ刺しにありつけた。
子規のように毎日、刺し身を少量(たぶん)食べるのと、毎週1回、どんと食べるのと、どちらがいいか。子規の場合は妹と母親が世話をしたわけで、魚屋が届けるのか、魚屋へ買いに行くのか、どちらにしても苦労は絶えない。わが家では、日曜の晩だけカミサンが台所仕事を休める、という意味がある。
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