繰り返しあらわれる“主題”がある。「狂うことでしか生き抜けなくなった悲しい青春」(「医学部中退」)、あるいは少年時代のあれこれ。詩を書くようになってからは(今もそうだと思われるが)、折々に青少年期を振り返り、それと向き合い、生きるバネにしているかのようにみえる。
父上は東京帝国大学医学部卒のドクターで、地域医療のリーダーとして、名士として尊敬を集めていた。彼も同じ道を歩むべく(本人の意志かどうかはともかく)、東北大学医学部に進む。しかし……。
そのころの心情を伝える詩句。「砂漠のなかにいるような/小学、中学時代/心にしみる/一滴の水さえ無かった/(略)/大学に進学し、仙台に行った/(略)/疲れ果て、精神を冒され/病になり、挫折した/両親は希望を砕かれ、悲しんだ」(「阿修羅」)
実は、カミサンと彼は小・中学校の同級生だ。1979年7月、最初の詩集『海獣』を出したころ、文学仲間を介して知り合った。海獣といっても、オットセイやラッコではなく、旧約聖書に出てくる「リヴァイアサン」を指していたように記憶する。今度の詩集にも「社会という巨大な怪物(リヴァイアサン)」(「それぞれの日本・2」)が出てくる。
彼と言葉を交わすようになって以来、詩人の彼と生身の人間の彼とを、縄のように縒(よ)り合わせてみてきた。だから、「兄ばかりか私まで狂って/両親は子に対する期待を失った」「二度と帰らない/児童期・思春期・青年期は/愛の欠如した、苦しみが多い/悲しい時期だった」(いずれも「医学部中退」)には、痛みさえ感じられた。
少年たちの真情があふれた詩句もある。中学校の「二年生の時に身近な友と年上の従兄弟が/ヘルマン・ヘッセの青春小説『車輪の下』の主人公/ハンス・ギーベンラートの悲劇を/私に重ね合わせて人生の忠告をした」(「想い出」)。
「車輪の下」は、「周囲の人々からの期待を一身に背負い、その軋轢(あつれき)で心を踏み潰されていく少年の姿」(ウイキペディ)を描いた小説だ。彼も兄もハンスになった。
30代半ばで彼は、両親の住む平から叔母の住む小名浜へ移り、労働者となった。詩を書きはじめるとすぐ、最初の詩集を出す。
以来、40年。東日本大震災を経験した今、「それでも私は、平凡な冬の日の様に/弱い、穏やかな日差しと/寒風が家を包む中/幸せな老いの日を過ごしている」(「冬の日」)。平穏な日々をもたらしたのは詩を書くことだった、詩を書くことで彼の魂は救済されたのだと、私は詩集を読み終えてほっとした気持ちになる。
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