冬から春へ――。風は冷たいが、光は日に日に明るさを増している。大地と大気の温度は寒暖の波を繰り返しながらも、上昇ラインを描いている。
さきおとといの日曜日(2月17日)、3週間ぶりに夏井川渓谷の隠居へ出かけた。さすがに雪は消えていた。庭の畑に3週間分の生ごみを埋める。スコップが凍土にはねかえされるようなことはなかった。この冬、畑の凍土は5センチまでいったかどうか。
キヌサヤエンドウの苗2本と、三春ネギの苗の一部が白茶けていた。土手には鮮やかな緑色のかたまり=写真。ノビル(方言名・ノノヒョロ)だ。地上部のあおい葉も、地中の鱗茎も食べられる。鱗茎は生みそか酢みそで、葉は刻んで納豆や卵焼きの具にする。汁の実にするのもいい。早春の土の味だ。しかし、原発事故後は一度も口にしていない。
図書館から『世界の食文化』シリーズを借りて読み続けている。「世界のキノコ食文化」と「北半球のネギ食文化」に興味がある。
ネギの原産地はどこか。学問的には立証されていないが、野生のネギの仲間が生えている地域については、おぼろげながらイメージがわくようになった。中央アジア、シルクロード、高山、砂漠、乾燥地……。ネギは乾燥に強い。その理由がこうした原産地の環境と関係しているのだろう。
最近読んだ「モンゴル」編――。調味に利用する「ニラやネギの類はモンゴル高原のここかしこに野生している。そもそもこれらの植物は中央アジアが原産地であり、そこに連続するモンゴル高原にもまた豊富なニラやネギの草原がつづいている」。
モンゴルの野生ネギについて検索すると、中国・内モンゴル自治区~甘粛省では「砂葱(シャーツォン)」といって、砂漠に生えるネギが食べられていることがわかった。写真を見ると、今の日本の太ネギのようなものではない、ノビルに似る。つまり、草。今、私たちがいわきで食べている太ネギは、これは改良に改良を重ねたものだ、ということがわかる。
「モンゴル」編に収められた「ニラの塩漬け」の写真には、こんな説明が付いていた。「ニラやネギを摘んでヨーグルトとまぜて乾燥させた粉末はゾードイといい、春用の子畜の餌になる。塩漬けにすると人の食料になる」。子畜とは羊やヤギ、牛の子どものことだろう。
今ふと思ったのだが、いわき市は北緯37度の線上にある。それを含む同40度前後の地域には、内モンゴル自治区・新疆ウイグル自治区・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・アゼルバイジャンなどがある。偏西風の通り道でもある。
種は人が運ぶだけでなく、風も運ぶ。中央アジア原産のネギは、それで東へ東へと伝わって、改良に次ぐ改良がなされ、あとは海しかないいわきまでたどり着いたときには太ネギになっていた――そんな空想が許されるのではないだろうか。
きのう(2月19日)は少し雨が降った。きょうは、いわきでも最高気温16度、4月並みの暖かさが予想されている。寒さに震えていたネギ苗も、これからは内部に命がみなぎり、ぐんぐん葉を伸ばすことだろう。
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