花火大会が中止とくれば、平七夕まつりを含むいわきの夏祭りは?となる。すでに身近な神社の祭礼の規模縮小や、福祉施設の支援活動自粛などの連絡も相次ぐ。コロナ禍はとどまるところを知らない。
個人のレベルでは、予防・自衛の意識をより深めなければならなくなった。新型コロナウイルスに感染していたら、他人にウイルスをうつしてしまう。すぐ感染経路を追えるように「濃厚接触」メモをつくることにした。
会って立ち話をした、隣に座って話をした、という場合、月日と氏名を書いておく。カミサン、息子一家、義弟などは、最初からメモに記しておく。肉親以外は、2週間が過ぎたら名前に線を引く。
マスクをしていても、超微細なウイルスはくぐりぬけてしまう。しかし、感染して咳をしたときに、つばにまじったウイルスを止める、つまり飛沫感染を防ぐ効果はあるという。それを信じて、孫を車に乗せるときにはマスクを欠かさない。
「濃厚接触」メモをつくり始めてから、「かからない」と「うつさない」をセットで意識するようになった。マスクの効用と限界も頭に刻んだ。
そこへまた、いちだんと行動のしばりがきつくなる事態が生じた。東京都などに非常事態宣言が出された。きょう(4月11日)、サービス業などへの休業要請が行われる。
例示された施設に図書館や美術館があった。人口が密集している大都市と違って、地方では図書館や美術館が人で埋まるようなことはない。ふだんからソーシャルディスタンス、つまり人と人との距離が保たれている。いわきでこれらが閉鎖されたら、個人の楽しみはさらに減る。
今のところは、企画展に伴う美術館のイベントの中止にとどまっている。特に図書館は、本を借りて家にこもるためにも欠かせない。いくら外出自粛をいわれても、図書館が休みになったら、私らのような年寄りは困る。
それに――。外出自粛は人から人への感染を防ぐため。人ではなく、自然が相手の外出はむしろストレス解消に効果があるのではないか。ひとり散歩、ひとり花見=写真(夏井川渓谷の隠居の庭で咲き出したシダレザクラの花)、ひとりジョギング、ひとり土いじり、ひとり山菜採り……。
遙か群集を離れて――。トマス・ハーディの小説を読んだことも、映画を見たこともないのだが、週末に夏井川渓谷の隠居へこもるようになってから、この言葉をときどき思い浮かべるようになった。人との接触がなければ、おおいに歩き回れ、といいたいところだが、やはりマスクをかけて必要最低限のアウトドアにとどめるしかないのか。
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