2020年4月23日木曜日

街に自然が戻る?

  新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)がもたらした現象だという。先日の朝日新聞=写真=によると、イタリアのベネチアでは観光客が激減して、一時的ではあれ運河の水質が改善した。ミラノの公園ではノウサギが駆け回り、ローマのスペイン広場の噴水ではカモが水浴びをする。チリのサンティアゴでは街にピューマが現れ、アルゼンチンの海岸の街では通りでアシカが休んでいた。
 人間の領域だった街の通りから、コロナ禍で人間の気配が消えた。すると、たちまち野生動物が現れた。記事を読みながら、デジャブ(既視感)に襲われる。福島県ではこの9年、主に浜通りを中心にして起きている現象でもあったから。

 原発震災からおよそ3カ月後の2011年6月――。友達から借りた線量計を携えて、放射線量を測りながら田村市常葉町の実家へ行った。いわき市川前町から川内村に入り、田村市都路町の国道288号に出て、同399号と分かれるところで車を止めた。

と、車の脇を通りすぎるものがいる。犬だろうか。バックミラーで確かめたら、ノウサギだった。夜行性のノウサギが真っ昼間、堂々とえさを探していた。川内同様、都路にも人影はなかった。稲作はこの年中止された。人間のいない里は寂しい自然に戻っていた。

 2013年11月――。震災後初めて、双葉郡富岡町へ足を踏み入れる。当時、いわきで被災者の支援活動を続けていた国際NGOのシャプラニール=市民による海外協力の会が、“ダークツーリズム”を企画した。主に首都圏の十数人が参加した。いわき側の人間として案内役の知人とともに、夫婦でツアーに同行した。

夜ノ森地区に入り、知人の運転する車から降りて、サクラ並木で知られる富岡二中前の交差点に立つと、東側の住宅街を貫く道路にイノシシの母子が現れた。その距離ざっと100メートル。母イノシシが人間に気づいて足を止め、こちらをじっと見ている。やがて子イノシシがわき道にそれ、母イノシシも子どもを追って姿を消した。

イノシシは、山里では夜に行動する。が、全町民が原発避難をした町には、人の気配がない。昼間から自分のテリトリーのように歩き回っていた。

2016年12月――。私の住むいわき市平・中神谷地区でも、驚くようなことがおきた。日中、まちなかのわが家の向かいの歩道でキツネが目撃された。直前には、近所にイノシシが現れた。おそらく里山開発によるものだろう。

人間の活動が自然を収奪し、破壊して、生きものたちを追い詰めてきた。その活動がコロナ禍によって、一時的ではあれ、地球規模で抑えられた。新聞の記事からは、人間から圧力を受けて小さくなっていた生きものたちが、それで少しだけ伸びができるようになった――そんなイメージしか浮かばない。

これらは急速な社会経済活動の縮減に伴うトピックスにすぎない、といって終わっていいものだろうか。

原発事故が起きたあと、哲学者内山節さんの『文明の災禍』(新潮新書)を読んだ。カバーの惹句が今も心に響く。

「産業革命以来、『発展』のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。(略)私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。『新しい時代』は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めることから始めることができるのである」

「新しい時代」像をどう結ぶか、でもある。

0 件のコメント: