感染症のパンデミック(世界的大流行)がいつ起きたか、国や自治体、市民はどう対処したか――。
スペイン・インフルエンザだけでなく、記憶に新しいところでは、平成21(2009)~22年の新型インフルエンザのパンデミックがある。当時2歳半の孫がこれにかかった。それからほどなく、生後半年の下の孫も感染した。
これを機に、新型インフル特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)ができた。この改正法に基づき、首相がきのう(4月7日)、緊急事態を宣言した。
感染症の自衛手段は100年前も今も変わらない。ダンミツ(断・密=密閉・密集・密接を避ける)、つまりは外出自粛。10年前、孫の世話に駆り出されたときも同じだった。やむを得ず外出するときにはマスクをかけて「感染源」にならないようにした。今回の新型コロナでも自衛策は同じだ。
時々、「100年の時間軸」という言葉を思い出す。哲学者の内山節さんが新聞に書いていた。「行政は何でも5年計画。目先の利益を追うから理念が生まれない。5年から100年に時間軸を延長すれば、“何をつくるか”から、“何を残すか”という計画にかわる」
それを暮らしの場に当てはめてみる。新型コロナウイルスからスペイン・インフルエンザを思い、朝ドラ「エール」から大正デモクラシー・大正ロマンを考える。ざっと100年前のできごとだが、それをきのうのことのように感じられるかどうか。何かコトが起きたときにどうしたらいいか、参考になることがあるはずだ。
いき出版が去年(2019年)7月に『写真が語るいわき市の100年』を刊行した=写真。いわき地域学會のメンバーを中心に、8人が絵解きを担当した。「100年の時間軸」を意識して、巻頭の言葉を書いた。備忘録として次に掲げる。
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詩人の山村暮鳥がキリスト教の伝道師として磐城平に赴任したのは、「明治」から「大正」に改元されたばかりの1912年秋であった。21世紀に入って20年近くたとうとする今、暮鳥に代表されるいわきの「大正ロマン」と、それに続く「昭和モダン」を調べると、おおよそ100年前の出来事に出合う。
第1次世界大戦勃発から100年=2014年、ロシア革命から100年=2017年、米騒動から100年=2018年と、節目の年が続く。
関東大震災は2023年に100年の節目を迎える。2011年に東日本大震災と原発事故を経験した浜通りの人間にとっては、阪神・淡路大震災も、関東大震災も貴重な教訓としてよみがえる。「100年の時間軸」でとらえれば、自然災害も戦争も遠い地域の、遠い過去の話ではなくなる。
いわき地方はこの100年の間に大きく変貌した。今また変化を続けている。
隆盛を誇った炭鉱は、エネルギー革命の影響を受けて衰退した。水産業もまた同じような道をたどった。アジア・太平洋戦争による疲弊と敗戦、戦後の復興と高度経済成長期を経て、産業も生活様式も一変した。
蒸気機関車が電車に替わり、自動車がバスにとって代わり、交通体系が高速化した。高度成長期まで連綿と続いていた村の暮らしと情景――たとえば、ランプのホヤ掃除、風呂の水汲み、イナゴ捕り、田植え手伝い、富山の薬売りなどは、写真で追想するしかなくなった。若い人にはどこか異国の、別世界の光景のようにしか映らないかもしれない。しかし、それらはまぎれもない私たち庶民のかつての暮らしの断片である。(以下略)
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