本文に「橋の堀江」という言葉が出てくる。ふだん車で移動しながら利用している橋(夏井川流域)に、平大橋(平・鎌田)、禰宜町跨線橋(同・禰宜町)、平橋(同・幕ノ内)、六十枚橋(同・下神谷)、才槌小路立体鏡(同・才槌小路)、高麗橋(幽霊橋=同・六間門)、小川橋(小川町)などがある。同社が手がけた橋の一部だ。
毎週日曜日、夏井川渓谷の隠居へ出かける。その行き帰り、県の広域農道整備事業現場(小川町)=写真下2=を通る。間もなくJR磐越東線、県道小野四倉線上に橋が架かる。これも同社が請け負った。戦後に絞ると、旧平市庁舎、平競輪場、千軒平貯水池、四倉漁港新港、いわき中央署、県いわき合同庁舎なども手がけた。
明治中期、山形県から現常磐線の敷設工事に働きに来た人間がいる。やがて地元の女性と結婚し、独立して、土木請負業を興す。法人化したのが100年前の大正9(1920)年。堀江工業は今やいわきを代表する老舗企業のひとつになった。
箱入り、ハードカバー、400ページを超える大冊――。一企業の100年史にとどまらない、いわき地域の100年史としても読める。第一次世界大戦、関東大震災、アジア・太平洋戦争、東日本大震災を経験する。さらに刊行直前の去年(2019年)10月、台風19号がいわき市に大きな被害をもたらした。そのことも「付記」として加えた。
本の構成にも工夫が施されている。本文、年譜、資料の各編に分かれる。社会史的な手法を取り入れて、本文にはトピックスや小解説がふんだんに盛り込まれた。トピックスからは同社に関係する人間の息づかいが聞こえてくるようだ。
実は、年下の元同僚が専従となって取材・執筆した。資料の読み込み段階から、「近くまで来たから」といって、わが家へ寄っては進捗状況や戦前の新聞の話をしてくれた。
本に出てくるエピソードから、これはと思ったものを二つほど――。昭和3(1928)年、地元・四倉の磐城セメントの協力で、大浦小が東北で初めて鉄筋コンクリートの校舎に替わる。堀江が「犠牲的な工事」をした。関東大震災が起きたとき、荷馬車300台を被災地に送った功績で、昭和5(1930)年の帝都復興祭式典に東北から唯一、社長が招待された。
社史は、社内に保存されている資料を基に執筆・構成される。が、社会・経済・世相などを肉付けするには、当時の新聞資料に当たるのが一番。いわきの場合、私立の図書館「三猿文庫」に戦前・戦後の地域新聞が収蔵されていた。市に寄託されたあとは、総合図書館でデジタル化が進められ、ホームページを開けば、いつでも戦前からの新聞が閲覧できるようになった。その恩恵ははかり知れない。
社史を越えた社史、「100年史」を超えた「100年誌」である。図書館にも寄贈されたので、市民はいつでも手に取ることができる。といっても、5月6日までは“コロナ休館”中だが。
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