ネットとリアルの両方で古書店を営む若い仲間が、毎日新聞のコピーを持ってきた=写真。「特集ワイド」とある。タイトルは「還暦記者鈴木琢磨の『ああコロナブルー』」。同ワイドにはいろんなメニューがある。そのひとつが「ああコロナブルー」で、ベテラン記者による記事スタイルの連載コラムのようだ。
後日、いわき総合図書館で毎日新聞の綴りを見たが、いわきに届く統合版には「特集ワイド」はなかった。夕刊だけの読み物らしい。
コロナ禍で在宅勤務になった。神田神保町の古書店巡りができなくなった。散歩がてら、地元の西武池袋線大泉学園駅そばにある古書店「ポラン書房」に通いだした。ここもコロナ禍で2月7日に店を閉じ、ネット通販だけになった、というところから本題に入る。
若い仲間は記事に登場する古書店主に薫陶を受けた。「ポラン書房」店主は山形県出身の73歳。私と同じ団塊の世代だ。宮城県で育ち、茨城県の大学で学び、いわき市で商売をしている若い仲間は、水戸市でこの店主と出会い、彼の家に泊まりながら、古書業界の裏方の仕事を学んだ。商売の上では師匠のような存在だという。
古書店主は若いとき、作家小田実らの市民運動(ベ平連)に共感した。大学を中退して、学習塾を開いたが、大手の進学塾に押されて古書業界に転じた。
そのころまでの「古本屋のおやじ」は独特の存在だった。身近なところでは「平読書クラブ」のおやじさんがいる。私自身、10代後半から通い始め、おやじさんが亡くなるまで、付き合いは半世紀に及んだ。
「ポラン書房」には、アニメ映画監督の故高畑勲さんが通った。宮沢賢治関係の本をドサッと買い込んだ。記者は高畑さんの奥さんに、そのへんの話を聴きに行く。さらに記者は、古書店主がコロナ休業中に読んだ、哲学者内山節さんの『自然と人間の哲学』(岩波書店)を読むように勧められる。
私が記者になって何年かたったころ、公害問題に替わって環境問題が取りざたされるようになった。「人間が自然に立ち入るのを制限すべきだ」と主張する研究者がいた。
阿武隈の山里で育った人間には、この論調が理解できなかった。自然は自然、人間は人間。人間は自然に立ち入るな――では、林業は成り立たない。木炭を焼いて食ってきた山の民はどうすればいいのか。広く農業は、漁業は? その疑問に明確な答えを出してくれたのが、2歳年下の内山さんの『山里の釣りから』であり、『自然と人間の哲学』だった。
自然と人間の関係を、自然と自然、自然と人間、人間と人間の3つの交通から論じている。阿武隈の山里で生まれ育ち、雑木林を遊び場にしてきた人間には、そして結婚後、キノコや山菜を採るようになった人間には、内山さんの自然哲学が大いに納得できた。かつての日本人は自然を利用しながら、自然を守ってきたのだ。
若い仲間はひょんなことからわが家に出入りするようになり、酒が入ると宮沢賢治や内山節の話を聞かされるようになる。東京でも師匠が同じような話をする。団塊の世代に共通するなにかを感じ取って、新聞コピーを持ってきたのだろう。私も、若い仲間と東京の古書店主の関係が具体的にわかってよかった。
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